ご支援ありがとうございました。クラウドファンディング目標額到達しました!!

ご支援いただきました、すべての方にまずもってお礼を申し上げます。

このリポートをどんな思いで今書いているかご想像できますでしょうか。

わずか数日前は50パーセントの達成率。

それでも

それでも

それでもと

思いつつ

今日まできました。

ここにきて支援者の皆さんが更なる声掛けをしていただいたことが

わかりました。

本日は偶然にも私が所属する国際交流の会をかたゑ庵で開いていました。

そして食事はいつもの地元の方々に手伝っていただき、民食の基本フォーマットの

撮影も兼ね集まっていました。

そして、目標が近付くと、それに気が付いたいつもの仲間も集まってきました。

そして目標を達成した喜びを今、分かち合っています。

まだ残された期限もあります、更なるご支援ももちろん歓迎します。

取り急ぎお礼まで。

UG

かたゑ庵の今後の予定、オープンはいつか、ヘルパー募集なども

今日もご支援がありました。

これで65パーセントになりました。

少しづつですが近づいていることは間違いありません。

期限が近付いている中でのご支援は、より励みになります。

ありがとうございます。

現在のアクセス数は、faavo管理画面より4,084PVになりました。

またUUは

2,340PVです。

これは、何を意味するかというと

アクセス数は、同じ人が何度もアクセスすればその数が上がっていきます。

しかし、UUは、同じアクセス者が何度もアクセスしてもカウントは増えません。

ですから、UUがとても重要になっています。

かたゑ庵プロジェクトがスタートして

それに興味をいただいて、

新たにこのページへ来ていただいた方が2340ともいえます。

しかも、このページへは、SNSと違って、ここに来てみたいとアクションを起こしていただかないと来ていただけません。

これをプル型といいます。

その中で現在までのUUが2340は、とてもありがたいと思っています。

そのきっかけを作っていただいたのが現在ご支援いただいている方々による様々な形でのご紹介に他なりません。

これは、その方々の実績と言っていいと思います。

SNSを全くやっていない私にとっては、間違いなくその皆さんのおかげです。

ありがとうございます。

さて、

今後、期限を迎えた25日以降のアクセスはおそらくほとんどなくなってくるとおもいます。

因みにこの2~3日は現在のアクセスは、山陰中央新報の記事が載った日と肩を並べるほどあります。

 なので、アクセス数が多いこのチャンスに、ここで今後のお知らせをします。

またクラファン後またの機会にそのグラフでの推移をご紹介せきればと思います。

それでは今後のかたゑ庵について

1、かたゑ庵の今後のお知らせは、

かたゑ庵ホームページ

で行います。

2、リポートは今後どうするのか。(もし見に来ていただけるなら)

すでに、faavoのページで更新してきましたリポートは

ほとんどかたゑ庵のホームページにアップ済です。

今後も話題をその都度アップしていきますので引き続きご覧ください。

3、かたゑ庵のオープンはいつ

今月中に天井が完成し、火災報知器・避難照明装置の設置等が完了する予定です。

そして、トイレ等の設置が完了すると、書類を作成し行政のチェックを受け、それでスムーズに許可がおりればオープンは可能になります。

しかし、まだまだ準備することはかなりありますので、今言えるのはプレオープンとして7月中旬(希望的)か下旬(現実的)ころから、限定的に行うことになると思います。

グランドオープンはまだ先になりますが近づきましたらホームページでご案内します。

すでに団体や個人での予約のご相談が来ています。

まだ認可も受けづ、宿泊料金も決まっていませんので、それが決まり次第改めて確認の上対応します。

なお、予約の優先順位は宿泊のリターンを選ばれた方になります。

4、宿泊予約について

まずは独自の宿泊アプリケーションを用意しています。

外国製の有料買いきりのアプリケーションで気にっています。とても使いやすく多少カスタマイズ可能で日本語化も終えましたので、これを使って試してみます。

大手のAirbnbやBooking.comなどは、状況を見ながら考えますが、”ある考え”のもとまずは自前でやってみます。

今後は検索が頼りですので「かたゑ庵」での検索で来てください。

5、今後全国からヘルパーを募集します。

下記は案ですので改めてホームページでお知らせします。

        (案)

ヘルパースタッフとして働ける方を下記条件で募集しています。
◇内容◇
業  務:清掃業務。ベットメイキング
外国人のゲストさんとコミュニケーションをとる機会があります。必須ではありませんが、英会話できる方が望ましいです。
待  遇:無料で寝床を提供。
休暇など都度相談にのります。
給  与:フリーアコモデーション形態です。(場合により、応相談)
労働時間:約4~5時間
採用人数:1~2名
その他:ゲストハウスのスタッフルームに住み込みで働いていただきます。

とりあえず、募集が始まったら知らせてほしい方は、

こちらからのお問い合わせフォームからお願いします。

6、今後のキーワードは「かたゑ庵」と「KATAEAN」です。

日本語での検索では、かたゑ庵で表示されますが、

英語のSEOを忘れていましたので、先ほどから手を加え始めました。

今後独自のホームページでの宿泊予約を考えていますので、英語・フランス語のページも作っていくことになります。

私の第一ターゲットが足立美術館に来る遠方のヨーロッパの方です。

その場合、きっとこんな日本語訳の英語やフランス語のメッセージになります。

足立美術館へ来たなら、かたゑ庵へ

ここには、人間の手を加えないダイナミックな、自然の日本海の庭園を見ることができる。

足立美術館の日本庭園を見たからこそ、自然の情景を庭に模した世界観がもっとわかるはずだ。

そして、一般家庭での食事にも、その日本独自の世界観は味をもって感じることができる。商用プロではない、家庭料理ならではの魅力。

更に、ヨーロッパにない竹のワークショップは見るだけの観光の退屈さから、きっとこの時間、解放してくれるだろう。

また夜の静寂と潮風は、ネオンと喧騒の中の観光地を歩いてきた旅人にとっては、その静かに流れる時間と頬を伝う風と波の音が、きっと自分を見つめる時間となるだろう。

せっかく遠路はるばるすぐそこまで来たのだ。

そこは、足立美術館から、たった1時間程度の移動で行けるとこ。

それがゲストハウスかたゑ庵。

こんな感じかな。

テーマパークとしての片江とかたゑ庵

今日は松江市の国際課からお二人お見えになりました。
インバウンドでのかたゑ庵に期待されて相談に来られました。
ありがとうございます。
今度、シンガポールで、松江市の観光誘致にかたゑ庵を紹介したいとのことです。

まずは、周りのロケーションを見ていただいて、かたゑ庵にご案内しました。
2月のノルウエーでのかたゑ庵の受け入れをもとに、様々な可能性やアイデアをお伝えしました。

「ここ片江は、集落が集まっていてコンパクトシティです。」
「このコンパクトシティは、何が魅力かというと、
ここはディズニーランドには負けない、テーマパークなのです。」

ここから私の熱弁がはじまりました。

ここにはシンデレラ城もミッキーもミニーもいませんが
様々な登場人物がいます。

先ほど、海岸で立ち話をした方は、素潜りの漁師です。
ずいぶん危ない体験をされたんですけどね。
実はこんなことも、・・・・・。

私の尊敬する方です。と
この漁村を歩けば、漁網を補修している人や船の上で、魚の積み下ろしをしてる方、
近くで畑仕事している人。

声をかければ明るい返事がかえってきます。

そういった偶然の出会いと、そこから生まれる旅の妙味、その登場人物と真っ青な美しい海、人口構造物のまったくない森林に囲まれたこの地は、
人間の営みの物語に寄り添っていく旅行者にとってはたまらないテーマパークなのです。

手を加えた、ディズニーランドに対し、手を加えていないこの漁村。
手を加えたカリブの海賊、手を加えていないそのまんまの海と山。

ココを見る人のアンテナさえあれば、そのアンテナが研ぎ澄まされていればいるほどココの魅力は無限に広がります。
と。

お帰りになった時に、言い忘れたことありましたので、
この場を使ってお伝えします。

このテーマパークの使い方の一つです。
古民家を通じた写真撮影の最適地でもあります。

今回、協力していただいている、赤山シュウカメラマン、そしてまなさんと、みわさんの撮影をかたゑ庵で行った時の写真を少し
ここで紹介します。

このかたゑ庵の古民家や片江のロケーションは、これから
海外の方にとっても国内の人にとってもディズニーランドには負けない被写体です。

こちらはUG

天井はかなり高いのでこんな撮影もできます。

民食会議、新しいことは不安はつきもの。

本日の民食会議、午後11時前、只今終了しました。

今日は、民食メンバーが抱えている不安をしっかり聞きました。

それは、何か新しいことを行うときに必ずぶち当たる、見えない不安です。

まだ民食を経験していないメンバーにとっては、さらに不安は大きいものがあります。

今まで私がやってきましたホームステイプログラムのホストファミリーをお願いしてきて、その不安をどう解消したらいいか、いつも悩んできたテーマでもあります。

今回は、運用の面でも課題を出し合いました。

そして、結論から言いますと、できる範囲で少しづつ慣れながら行っていくことで、あとは運用しながら試行錯誤していこうということになりました。

皆さんは、いつものように、どうすればうまくいくかを一緒に考え、前向きです。

また片江の皆さんのパワーを感じました。

 

ノンフィクション「だからあれだけ行ってはだめだと言っていたのに」残り6日

片江での実話です。

長男が小学校の5年生だったと思う。
風がとても強い日に、自宅から20分程度の、外海に面した岩場に子どたちだけ3人で行った。

そこは地元の人からは死角でそこへ行ってることさえわからない場所。
そして、そんな風が強い日は波が高くなって釣り人も足を踏み入れることはない。
子どもたちの話から。
そこで、大波が来て一人の少年が波をかぶったという。
しかし運よく波にさらわれることはなかった。
ヒヤッと、したらしい。
それはその日に聞いた。
うちの子だけでなくだれもが無事で、
何事もなくてよかったと思った。
大声で叱りたかった。
しかし、目の前に生きていることの安心感がそれを上回った。
そして、もう懲りただろうとも。
だからもう行くことはないと思っていた。

しかし、

翌日その岩場へその子どもたちは、またもや連れ添って行った。
当時、波は依然高いまま。

なぜまた行ったのか。

それは、
岩場に忘れ物をしたというのがその理由。

そして、岩場について忘れ物を取り上げ、帰る時だったという。

目的を果たし、きっと緊張感も薄れてたのだろう。

いつものルートすすんでいた時だった。

いきなり予想をこえる大波が子どもたちに襲ってきた。
今度は本当に一人の少年が波に飲まれた。
岩場から海へ引きずりこまれた。

それはほんの一瞬だったという。
その波の力は想像以上の力で、その子をいったん海の底の方まで連れていった。
その少年こそ、私の長男。

安心してほしい。

そこのところで切ってしまえば、この続きの関心度は高まるには違いないが

よけいな想像をさせてしまいたくない。
もちろん今でも元気でいるからこうして書ける。

その時どうして生還したか。

その続きこそ聞いてほしい。

さて、

ここからはクラファンでご支援いただいている方だけに感謝を込めて、

特別にお伝えします。
このクラファンの管理画面から、支援者のみにメッセージを送れる機能がありますのでそれを使います。
また、直接銀行振り込みいただいた方へはそれが使えませんのでメールで送ります。

この続きは、支援者のみ近日公開。
これからご支援いただく方も、もちろんお伝えします。

これはフィクションではありません。
この岩場てどんなドラマがあったのか。
今だからやっと冷静に(本当にそうです)伝えられるこの奇跡、その生還できた決定的なワケがある。
このノンフィクションのタイトルは、

「だからあれだけ行ってはだめだと言っていたのに」

そのまんまのベタですが。

ふう。
これでご支援増えるほど甘くはないとは思いますが
あの手この手で
やってみましょう。

自信ありませんが。

残り明日であと6日。

本日のTAKAさんの応援メッセージとこれからの片江

faavoより応援コメント

TAKA
2019.06.17
初めましてUGさん、まだお会いできてませんが、同じく美保関のファンを作りたいと思っている者です。片江の海はよく息子が泳ぎに行ってました。素晴らしい海です。世界への発信を期待、応援しています。お祭りやイベントではなく、しっかりと根を張る後世に引き継げる拠点とモデルを僭越ながら共に知恵と智慧を絞って作って行きましょう!

本日ご支援いただいたTAKAさんの応援メッセージから、かたゑ庵プロジェクトの目指すミッションをあの文章の中で簡潔に表現していただき、ご理解いただいていることに感謝申し上げます。

特に

「お祭りやイベントではなく、しっかりと根を張る後世に引き継げる拠点とモデルを僭越ながら共に知恵と智慧を絞って作って行きましょう」

このTAKAさんのメッセージがかたゑ庵のミッションと重なります。

徳島県の上勝町で、葉っぱビジネスで有名な横石氏が松江に来られた時に、パーティーでの席で一緒に歓談させていただいたことがあります。

「地域を何とかしたい」と

 だれもがやったことない事を成し遂げるための努力を人一倍やってきた方です。

住民の反対と疑心暗鬼。

彼は地元の出身ではありません。ですからよそ者扱いでした。

そこがまたよかったとも言っています。

詳しくは書籍に譲り。

片江では、将来のために今までの10年間に何をやってきて、そして今後の10年間も同じ繰り返しをしていくのか。

喫緊の課題は減り続ける住民。

十年前が700人、今500人。約。

移住者を増やしたいのか、そうでないのか。

増やしたいのであれば、どんな対策やオプションを用意するのか。

移住者が懸念・心配することは何なのか。

それをわかっているのか。

知ろうとしているのか。

移住したくなるようなおもしろい片江にするにはどうすればいいのか。

今、民食に目が行っていますが、それはひとつの手段にすぎません。

新たな事に果敢に挑戦する地域は、生き生きしています。

 生き生きしているところには、また生き生きした人が集まってきます。

皆で、ドラム缶風呂を作てみる、竹ドームを作る、そして地元の人がそれを十分楽しむ。こんなことでさえ。

えっ、みんなでそんなことして楽しんでるの。片江って、なにかわくわくするところ、住んでたらなんか楽しい事みんなでできそう。そんなところで子育てしたいよねって。

そこをゴールにできれば。

TAKAさん、片江には前向きな、熱い方がいます。

だから希望があるんです。

 

キッチンは、いちばん遠い旅の目的地

「キッチンは、いちばん遠い旅の目的地」

昨日、歯医者に行って待合室にいましたらこの本のキャッチコピーに目が行きました。

なぜでしょう。

とりあえずこの本の内容には触れませんが。

このキャッチコピーで浮かんだもの。

それは

かたゑ庵プロジェクトの「民食」。

私たちは普通の旅では、一般家庭のキッチンに出会うことはほとんどないと思います。

この本の表現でいえば、一般家庭のキッチンは、旅行者にとってまさに遠い存在と言えます。

遠い存在を言い換えれば

すぐに手に入らない魅力あるもの

 

で、

あり。

民食は、

旅人にとって

憧れのテーマなのでは、ないか。

それはきっと潜在需要として、ある。

と、このキャッチコピーが教えてくれたような気がします。

結局この本の中身を読む前に順番がきました。

まだ入れ歯は入れてません。

が。

ではまた。

改めて新聞に載ったコト、驚くほどアクセス増え、支援もあり。感謝です。

昨日からメールや電話が次々入り、あらためて新聞の力を感じました。

この機会に日ごろから感じてる新聞とSNSに関連する内容を少し書いてみます。

タイトル:山陰中央新報と、プッシュ情報とプル情報。

かつてネットがない時代、マスに向けて情報発信は、新聞やテレビの媒体が中心でした。
言うまでもなく、
個人がマスに向けてアピールできる手段は、社会的に大きな実績を生むか、大きな犯罪を犯すか、ではなかったかと思います。
ざっくりですが。
今は、個人がインターネットを通じて、だれでもマスに向けて発信できる時代になりました。

その個人のメッセージがSNSの拡散によって、広く世間に伝わることはあらためて言うまでもありません。

そこで、今回の山陰中央新報で、取り上げられたかたゑ庵の記事とSNSでの拡散を比較しながら、
感じてることを書いてみます。

SNSを通じて、世界中に発信され、それが破壊的と呼びたくなるほどの深刻な影響をもたらしたのが、イスラミックステイトによる、
虐殺映像とメッセージです。

決してそれまでの世界では、新聞やテレビがその残忍なシーンやメッセージをナマで伝えることは決してなかったのですが、
SNSは、それを許して、しまいました。

そして、そこまでは行きませんが、SNSが拡散される大きな要素のひとつは、刺激的なメッセージで気を引く、センセーショナリズムではないかと思っています。

ここで昨日山陰中央新報がかたゑ庵の記事を取り上げたプロセスを振り返ってみます。

まず、私が紙媒体のチラシを配りました。
その中の公民館の館長のひとりがその内容に共感し
山陰中央新報の記者に伝えます。

そして、その記者から取材の申し込みがあって、
取材を受け、
昨日記事になりました。

5月21日に取材を受け、6月12日に記事になりました。
実は私はこの記事はボツになったのではないかと思っていました。

しかし、昨日
一面の見出しに画像入りで、紹介、そこだけでもかなりのスペースをとり、
そして本文のページを開いてみると驚くほど大きなスペースに記事が書かれていました。

このことは、今行っているかたゑ庵プロジェクトが、この新聞社のフィルターに引っかかって、

ジャーナリズムとして、広く伝えたい記事にしていただいたのものと解釈しました。

このプロセスのポイントは、

かたゑ庵の取り組みが山陰中央新報に行くまでプル型で、行われたことです。

私の仮説として、

これからの時代は、プッシュ型からプル型へいくのではないかと思っています。

つまり、タイムラインで一方的に流れていく、情報から目に留まってもらうためには
現在センセーショナルなコンテンツがてっとりばやい。
しかし、それは偏った情報の選択になりかねない。

一方、じっくりコンテンツを評価し、記事として取り上げた山陰中央新報のジャーナリズムとしてのコンテンツがあらためて評価される時代がくると思います。

あまりにも真贋わからぬ情報が一方的に入ってくる時代。

そんな時代だからこそ、世の中に伝えたいコンテンツを一次情報としてプルで拾い出す。

それを取捨選択吟味。

限られた紙面確保の攻防に勝ち上がり、「事実」をもとに判りやすく記事にされる。

だからこそ記事としてなることがシンボリックな意味をもつと思います。

つまり要約すると、

これからも新聞が大事な役割をすることになり、そこに記事として載ることの意味は大きい。

そしてなによりそれらにプルされるような事実をだれもが築きあげること。

ということです。

改めて、山陰中央新報さん、記事にしてくださってありがとうございます。