4年ぶりの墨付け祭り。神輿を担いで海へ入る。今回恒例の海への投入れは、志願の女性記者。

ここ4年間コロナ禍で、祭りの中止は、なかったもののかなり縮小し、

墨付け祭りの一番の特長である、

顔に墨をつけて、神輿で練り歩く行事が、できなかった。

昨日、4年ぶりやっと本来の墨付け神事が行われた。

今回は、Goproを首につけて撮影、神輿を担ぎ、練り歩き

そしてメインイベント、海へ。

今回、山陰中央新報の女性記者が

墨付け神事、恒例の海へ投げ込まれる胴上げ、に志願。

「着替え持参しています」と。

すごい記者魂。

これは、さすがにAIには、この生身の体験を記事には書けないだろう。

海の中につかるのはわずかな時間ではあるも、

体全体が海の中に沈む。

この冷たさにどれくらいの時間耐えうるだろうかと考えたときに。

例えば、震災時において、海に投げ出された人が

どのような冷たさの中で、

どんな思いでがいただろうかと。

この体験を通して、実感として感じることは間違いない。

そして、今後の記事にきっと生かされることでしょう。

 

私にとっては、この海に入る神事はカヤックで生かされます。

このような環境では、お客様を乗せてのカヤックツアーはまず実施はしませんが、

もし、冬の寒い時期に、カヤックから海に落ちる、

それでも冷静に判断できるかどうかはやはり実体験です。

この神事は、海に落ちてもパニックに陥らないように、

体で経験させる

一つの方法だと思っています。

この神事、ひょっとしたら漁師の冬の対策のひとつだったかもしれません。

 

ちなみに私たちはその後、海から上がって、また神輿を担いで練りながら神社へ。

濡れた体は、海にいる時よりも、より一層体に凍みて、体がガクガク震え。

すべての片づけが終わると真っ先に温シャワーへ。

神社の飾りつけの竹や松は昨年末から担当が準備。

表裏8ページに及ぶタイムスケジュールと担当者の名前。

いつどこでだれが何を細かく指示されています。

トンドの立て方も。

トンドをたてるための孟宗竹は40本、祭り前日に山から切って運ぶ。

片江は、1~6組に分かれ、祭りの準備は順番で今回1・2組が主となって行います。

かたゑ庵、属する1・2組は一番住民が少なく、いつも少人数でやっていかないといけません。

飾りつけは、住民総出で行います。

片江に、ここ5年間に移住してきた方は子どもさんもを入れて約14名になります。

今回、その方々が神輿を担いで町内を練り歩いていただいたり、

祭りの準備から当日のおもてなしなどを積極的に手伝っていただきました。

この祭りに限らず、

草刈り機で自分のところだけでなく、広域に除草作業を手伝ったり、

昨年移住された方も、片江古道整備のボランティアで積極的に関わっていただいています。

片江の人口は15年前が約700人、

現在400人台。

このままでは限界集落となってしまいます。

そんな中で、移住者が少しでも増えていくことはとってもうれしい限りです。

それは、片江のすばらしい自然の環境と住民の皆さんのおかげです。

特に私は、子育て世代の方が

子育て期間中をこの地域で暮らすといった提案を行っています。

あえて定住ではありません。

片江には、30軒位ある空き家、まずはこのどこかを借りて住む。

たとえ移住者がここから出て行っても次の家族がそこを借りていく、

これを不連続の連続と私は言っています。

もちろんそこから定住に進むこともありえます。

第一ターゲットは、松江市内に住んでいる方。

ここからは通勤可能管内です。

私の子どもは移住前当時、市内の保育園では待機児童でしたが、

美保関町ではすぐ入れました。

これも大きなメリットでした。

行政の移住者への様々な支援があることは、知っています。

しかし、移住者が借家として使う場合の大家さんの支援もあれば

よりたくさんの借家の提供も進むと思います。

例えば借家として提供した場合、家屋の固定資産税の免除など。

 

若い方がこの地域で生活していくだけでも、何かあった時のための大きな安心感になります。

田舎暮らしは、少しでも地域の役に立つ力になることです。

それは、そうしないと地域がこのままいったら持たないからです。

 

「持続可能な地域社会総合研究所」 所長の藤山浩氏と以前お話をしたときに

移住者した方が地域と関わらず。自分のしたい事だけをやる場合について氏は、

「田舎暮らしの、いいとこ取りだけは、だめですね」と

そのことばがとても印象に残っています。

地域と関わらない移住が増えるとどうなるでしょうか。

人口が増えたとしても、

自ずと確執やトラブルも増えてくるのではないかと思っています。

どんな方でも地域で、貢献できることはあります。

例えば、

住民の顔と名前を少しでも知っていることで、防犯や災害時の安否確認に協力できます。

そのための方法は、例えば、日ごろから、自分が知らない地域のことを聞いたり、料理を教えてもらったり。

きっと喜んで教えていただけます。

私もそうしてきました。

地域の方を頼り、そうして交流の輪を広げていくこともひとつの方法です。

そして、地域の方が自分が知っていることが役立つことは生きがいにつながることもあります。

ひとにより、また、頻度と時と場合ですが。

その塩梅は、当たって砕けろですね。

さて長くなりましたが最後に

昨日神輿を担いで海に入って場所です。

今日夕方撮りました。

ここにゴミ袋があります。昨日の神事で出たごみかそれまでに

この砂浜に押しよせた漂流ごみでしょう。

地域の人たちが広い集めたごみの一部です。

この余力がいつまで続くか、一緒に考えてみましょう。

新春かたゑ庵、第一号のゲストの皆さん、笑顔溢れる明るいスタートに。

今回ご利用いただいたのは、

当時、この片江に北中学校があった時の同窓会とのこと。

同級生ならではの気楽さ、楽しさがこちらまで伝わってきます。

皆さんの笑顔が輝いています。

元日に地震・津波の警報と甚大な災害報道があり、

この地域もどうなるかと

心配しましたが、

警報も解除され

予定通りご利用いただきました。

 

皆さんがこうして再会を楽しめる、

今しかできない事、

その瞬間しゅんかんを大事にしていたいものですね。

今回の元旦での震災から、さらにその気持ちを強く感じました。

 

日本海の津波は早い、5~7分くらいで到達も。だから「津波てんでこ」

1993年7月、北海道南西沖地震。

最大の被災地となった奥尻島では、最大29メートルの津波に襲われ、

死者・行方不明者は198人にも上りました。

そのドキュメンタリー番組が当時あり、

今回の津波警報で、その時の記憶が今、一瞬によみがえってきました。

 

昨日、かたゑ庵から出かける少し前でした。

町内にサイレンが流れました。

その時点で、新年の消防の行事かなと思っていたら、

続いてメッセージが流れてきます。

この声は、北朝鮮のミサイル発射の時のあの声。

「ああまたミサイルでも・・」と

思ってたら、

津波の警報とわかった。

テレビでは、緊急速報。

そして、この時に思い出したのが、

あの30年前に見た、奥尻島の災害ドキュメンタリー番組(NHKだったと思う)。

思い出した瞬間に「5~7分しかない!」

 

お客さんはいない、宿泊予約もない。

ガスの元栓を閉める。

それで

すぐに外に出る。

 

目の前で、海を見ながら立ち話の近所の人。

「日本海側の津波は早い、すぐ逃げましょう」と声をかけ、

車の移動を。

 

次に近所の

子ども連れの6人家族の方が見え、車のそばで戸惑っている様子。

「すぐに逃げて、そしてこんな場合、

子どもたちにどこへ逃げればいいか、

教えてあげてください。

親がいない時でもすぐに行動を起こせるように。

うちの子もそうしていました」

 

更に

目につく人には

「逃げましょうにげましょう。空振りになるかもしれませんが」

そう声をかけて車を移動。

 

そして、

今のところ現在まで空振りでしたが、

しかし、

空振りでなかったら、

あのドラマの再現を見ることになったかもしれないと。

 

そこで

思い出してもらいたいキーワードは、

3.11釜石の奇跡の「津波てんでこ」

ポイントは、日本海側の津波は、数分で到達するということ。

それを踏まえた”特別な避難計画”がなければ、なりません、

それが「津波てんでこ」にすべて込められていると私は思っています。

 

大丈夫かと、ご心配の連絡いただいた方へ

ご心配いただきありがとうございます。

津波警報前は、片江湾は何もなくおだやかな凪だった日でした。

警報後いつもと違う波立ちが防波堤の外海で確認されていますが

かたゑ庵もとより町内直接の津波の影響はありませんでした。

一方、今回の地震と津波で災害に遭われました方々の状況の深刻な状況が刻々と報道されています。

この災害からどうか、ひとりでも多くの方が生き延びていただけますよう願っております。

 

 

なお、13年前の3.11時、当時美保関小学校PTAで取り組んだ内容です。

特にNTT伝言ダイヤルを学校との安否確認に使った事例は、

そのまま今でも生かせますので参考までにここで紹介します。

特に、3,11では、携帯電話をはじめ、停電による通信システムのダウンなど、

ほとんどの連絡手段が失われていました。

そこで、学校と家庭を結ぶ、様々な連絡手段を考えました。

アマチュア無線保持者、船舶無線保持者(漁村ならでは)の保護者の確認と協力のお願い。

更に、NTTの伝言ダイヤルの活用を提案。

これは、災害時、学校にいる児童の安否について連絡手段の一つとして、NTT伝言ダイヤルを使い、

その「アクセス先電話番号を学校の電話番号」を使う。というルールを取り決め。

そして、そのNTT伝言ダイヤルを使った訓練を保護者の協力を得て行った。

その方法は

学校でNTTの伝言ダイヤルにメッセージを吹き込んで、それを保護者が自宅で聞くという演習を行った。

毎月、1日と15日は、伝言ダイヤルが災害時と同様に使えるので、その日を使った。

単なるメッセージではおもしろくないので、学校で考えたクイズを録音してもらい、

その答えをツイッターで上げるという訓練を行った。

これは情報の拡散を狙ってのこと。

これらは、2011年の震災の年に美保関小学校PTAで行った実例です。

今でも、可能で、特別な機器もいらず

NTTの伝言ダイヤルのアクセス番号を学校の電話番号にするという取りきめだけで運用可能。

当時、情報発信の様々な可能性について学校と協議し、下記はそれを図にしたものです。

迎春。お陰様で、かたゑ庵今年5周年を迎えます。

2024年元旦

新たな年がやってきました。

昨年の正月とは違う、

やっとやっと、

夜明けがきたような

気配。

今日からの一日いちにち

この瞬間を大事に生きよう。

本年8月20日で、かたゑ庵は、5周年を迎えることになります。

ことしもよろしくお願いいたします。

かたゑ庵

 

今年もお世話になりました。そのお礼を込め、ティンホイッスル演奏。

あっという間に今年ももう終わりですね。

皆さんはどんな1年でしたでしょうか。

昨年までとは違い、

コロナ明けのような感じになってきた年でした。

今年は、以前から予定していた手術で3月に3日間入院した以外は、

本日まで昨年同様休日にした日はなく、

コロナ禍の期間、あの損失を挽回をするため、

そして、かたゑ庵のファンを一人でも多くつくるため、かたゑ庵のお休み日はなしと決め。

ゲストの皆さんには、いつでも来ていただけるようにしてきました。

お陰様で

ご宿泊も県内県外、そして海外からのゲストも来ていただき

カヤックツアーのご利用も多く、

今年、新たに洞窟学会の方の洞窟測量調査が片江湾で始まり、

そのかたゑ庵でのカヤックを使った測量は全国初、

その成果は、

島根半島に新たな魅力の発掘につながっています。

繁忙期の7月8月は、予約された日が海の状態も良く、ほとんどキャンセルなしで、

海にでっぱなし、忙しい年でした。

そして、ゲストとの出会いの中、様々な人生のお話を聞かせていただき

ゲストハウスをしてなければ、

きっと会えなかったであろう方やそれぞれの生き方に触れることが今年もできました。

 

足踏みオルガンですばらしい演奏をしていただいたドイツ人の女性。

帰国後ポーランドの川をカヤックで700kmもの距離のチャレンジ動画を送っていただいたポーランド人。

島根半島ナショナルパークライドで来ていただいた台湾の方。

3泊4日の滞在中に、自炊スペースで夕食を作って、私の分まで作っていただいたオランダの方。

まるで居ながら世界旅行をしているような

充実した1年でした。

中でも、今年2泊していただいたアイルランドのご夫妻からクリスマスプレゼントが国際郵便で送ってきました。

アイルランドのたて笛ティンホイッスルです。

その送っていただいた方の思いに沿いたいと時間を作って練習をして、その演奏を動画で届けようと頑張ってます。

クリスマスの日から練習をはじめたばかりですので、

指の動きやリズムが乱れたり、お聞き苦しい演奏ではありますが、

私なりの今年お世話になった方すべてに精一杯の気持ちを込めてここで演奏します。

ついでにギター演奏も入れ編集してみました。

曲はアイルランドのDown By The Salley Gardens。

来年は、今回の演奏の動画からどこまでうまくなるか

ぜひかたゑ庵へ来ていただき今後の練習の成果をご確認ください。

それではよいお年を!

 

アイルランドからクリスマスプレゼント。ありがとうございます!

今年4月、アイルランドから来られたご夫妻、かたゑ庵で2泊3日。

そしてそのご夫妻から、少し前にクリスマスプレゼントが国際郵便で送ってきました。

小包を開けると、きれいな包装紙に日本語で書かれたとてもうれしいメッセージが。

何が入っているんだろうと、その包装紙を早速開けてみると。

中身は、アイルランドの縦笛。いつかほしいと思っていたこの縦笛。

ご夫妻かたゑ庵では、カヤック体験ツアーもしていただき、

そこで、いつもの入り江に上陸したときに

鼻笛で私がアイルランドのサリーガーデンを演奏しました。

音程がずれ申し訳なかったですが。

そういえばその時に、アイルランドの縦笛を送る、といっていただいたような気がしていて

そのことは忘れていたのですが。

このクリスマスのプレゼントととして送っていただいたことは、

特別な思いです。

本当にありがとうございました。

早速、この笛の練習をはじめました。

うまく吹けるようになったら、近いうちにまた動画で送ろうと思います。

 

 

 

ロシニョール、ノーマルスキー195cm、大山スキー場オープン日、昭和板試してみました。

今月告知していましたが、

今年、手に入れましたロシニョール、ノーマルスキー195cm昭和の板。

先週、以前エランのスキーのメンテでやったように、しっかりメンテナンスし準備万端。

昨日、大山でスキー場開きがあり、早速試しに行きました。

滑りを比較するため、エランのスキー板も一緒にもっていきました。

駐車場はー6度。この写真は、駐車場で帰るときに写しましたので寒さも伝わってくるでしょう。

スキー場開きの神事が行われていて、テレビ局などのカメラマンなど来ていました。

夕方のテレビで、私も滑ってるとこ映っていました。

ゲレンデは一か所しかオープンされていませんでしたので、映される確率は高かったと思います。

さあ、当時憧れのロシニョール、どんな滑りになるか。

この日は、かなり寒くアイスバーン状態の場所もありましたが、

エッジングは問題なく、ビンディングも

様々な滑り方(パラレル・ウエーデルン・小人ウエーデルンから逆エッジを使うチャールストン)で試しましたが

特に気になることはありませんでした。

エランと比べてどうだったかは、かたゑ庵で飲みながらお話しましょう。

一方、Goproが、寒さのため途中からフリーズ。

Goproの寒さ対策を考えなくてはいけません。

帰り際には外国人から声をかけられました。マカオから来たという家族。

私がインストラクターと思われたようです。

来ているスキーウエアーのせいでしょう。30年前の赤のウエアー。

さて、このロシニョールの板を本日よりお貸しします。

ご宿泊していただいた方は、1日無料です。

このブログの告知だけで来ていただけるとは思ってはいませんが、

ひょっとしたらと思っています。

私は、この真っすぐな昭和の板ならではの滑りが好きです。

特に板を揃えて滑るのが。

今後、以前の真っすぐな板も発売されることもあるのではと思っていますがどうでしょうか。

そしてGoproの動画です。

このスキーシーズンに立ち寄るのが

大山でゲストハウスやってる 寿庵さん。

ゲストハウスとして大先輩です。

夏は、登山のお客さんに、かたゑ庵紹介していただくこともあり、

こちらも寿庵さんを紹介する。

いつしかこんな感じでお世話になっています。

来年10周年を迎えカレンダー作ったとのこと

いただきました。

大山の様々な写真がちりばめられています。

私の10周年はまだ先、来年は5周年を迎えます。

まずは来年どのような年になるか。

頑張ねば。

 

かたゑ庵ご宿泊予約はこちらです

ロシニョールスキー195cmの貸し出しについてのお問い合わせはこちら

 

今こそインバウンド対策、3カ国の留学生を招いて英語のスキルアップを目指す。

今回、同じ国際交流活動に所属するmarikoさんに協力していただいて、

留学生を集めていただきました。

先週になりますがザンビア・インドネシア・中国の留学生が4名かたゑ庵へ来て一泊してくれました。

今回は、私の英語のスキルアップを目指して、ベジ寿司のワークショップ・ジオパークガイドとしての説明

地域の案内、アクセスの検証、ゲスハウス運営に関わるすべてを自ら試すのが狙いです。

marikoさんも英語のスキル磨きの実践をやっています。今回ご主人やお子様も参加していただき楽しい会になりました。

まず、留学生がかたゑ庵に到着するや否や、ビーチに連れていきそこで、少しだけジオパークに関わることを説明。

私がいつもジオガイドとしてまず皆さんにお話をするのは、日本列島が2000万年まえには、ユーラシア大陸の一部であって

そこから、火山活動によって少しづつ引き離されていく過程をビーチの砂を使って説明をします。

ビーチの砂を使ってにユーラシア大陸に見立てた輪郭を作り、その端っこを手で切り分けます。

そして

日本列島が大陸から引き離されていく過程では、

日本海となるところは最初は、まだ海とは隔てられていて、大きな湖状態で淡水の時代があったこと。

なぜそれがわかるかというと、この地層から淡水で生活していた生物、ビーバーやワニなどの化石が見つかっていること。

何度か外国人にこの説明をしましたが、日本列島がユーラシア大陸から分かれてできたことに驚く方は多かった。

ジオガイドとして、大きな反応があるほど、うれしい。

今回は、カヤック体験ツアーは、できませんでしたが、いつもは、パドリングの方法から注意事項など、簡単な英語で説明ができるようにしています。

そして、地元のお寺へ。

ここでは、唐草模デザインの建物装飾からシルクロードへとつながる話。

更に、地元の方結神社で、本殿や神輿を見学。

かたゑ庵から5分、10分のこのミニ観光コース。

オーバーツーリズムでごった返す観光地とは違った、ゆったりとした観光になっています。

この漁村の小さな文化遺産は、外国人にとって十分異文化を感じさせます。

外国人自身がメジャーな観光地よりもここを選び、

そしてそれは自分で探し当てたというこの場所の特別感もあり、

それが言い知れぬ感動をもたらすのではないかと私は思います。

そしてさらに、ベジスシのワークショップへ

自分でトッピングできるので、宗教上の理由で食べられないものも、ベジタリアンであっても

素材をしっかり伝えることで、それぞれが選んで行えるのがこのポイント。

そして、この古民家の欄間で描かれている3種類の形は何でしょうと、そのクイズも留学生に行いました。

この古民家にある、建物の特長から現在生産されていない昭和の板ガラスなど、この時代の特長がたくさんここにあります。

それを英語で説明することで、ここに外国人が来た価値をよりいっそう広げるとおもっています。

ベジスシワークショップ、その後は古民家スペースからラウンジへ移動。

演奏できる楽器があればもってきてほしと伝えていたら留学生が中国の楽器、二胡を持参してくれました。

それにインドネシアの留学生がギターで合奏。

歌や楽器は一気にみんながひとつになっていきます。

ザンビアの青年は、島根大学で農業で学んでいて祖国で農業をもっと発展させたことを目を輝かせながら話してくれ、

「日本が食糧危機になったら頼むからね」、とのやりとりに「もちろん」と反応。

楽器を奏でみんなで歌い、これからの夢を語る。

これがゲストハウスの醍醐味です。

そして、かたゑ庵までのアクセスについて、

松江駅から片江にバスでいく方法は、

ホームページで日本語英語で説明しています。

このルートで留学生も来ていただきましたが

この方法で今年の外国人も迷うことなく十分乗り方が伝わっていることがわかりました。

先日ポーランドから来た方もバスでこのルートで来ていただきましたが

そのお礼のメールの中にも日本の交通機関のすばらしさをあげていました。

なので、きっとこのバスルートについても不満はなかったと私は思っています。

そして、片江まで約1時間ですが、このバスでのルートでの楽しみ方も日本語と英語で入れています。

今年かたゑ庵に3泊した外国人はカヤックの他、

コミュニティバスを使って美保神社へそこから五本松公園の遊歩道など

3日間、美保関町内で十分楽しんでいました。

先日、松江市内のバス路線の廃止が決まったところもありましたが、このルートは変更なし。

ぜひこの路線が今まで通りでありますよう願っています。

境港からも同様に米子空港からのアクセスをホームページで日本語英語で作っています。

さて、今回留学生の方に協力していただきましたが自分で英語力を分析してみると

まずは、リスニングに課題があります。

そしてスピーキングにおいても。

今年は、外国人のゲストも増え、それなりに英語を使うことは増えましたが、

一方で、外国人からたくさん聞きたいことや話したいこともあり、それが現在、不完全燃焼になっています。

もっともっと英語漬けになって、自分を追い込んでいきたいと思います。

これしかないと思っています。

今回協力いただけました皆さんありがとうございました。

今後も、様々な方法を試しながら英語ブラシュアップしていきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

今回一気にザンビア・インドネシア・中国3カ国の新たな国のメッセージノートが追加となりました。