カヤック・カヌー20艇以上片江に集合

子どもたちにカヤックの楽しさを伝えるイベントが

片江のビーチで行われました。

かたゑ庵前の竹ドームも

そこに移動。

日陰のシートを張って協力させていただきました。

防波堤で守られた、

安全性の高いビーチは、他にあまり見られません。

イベント後は、

カヤッククラブのメンバーは

片江湾の絶景ポイントを目指していきました。

先般は、このクラブの講習会を

かたゑ庵で座学、このビーチで実技を行いました。

カヤックの実技研修や初心者体験など、

片江の特性を生かした楽しみ方が広がっています。

今、このかたゑ庵周辺のロケーションを生かした歓交地のバリエーションは

更に広がっていきます。

 

片江の夏の墨つけ祭りとかたゑ庵祝福の行事

恒例の行事、海に投げ入れ。

その年に、結婚したり、新築や何かいいことあれば、

胴上げのようにして海へ落とします。

今回かたゑ庵のオープンを祝して、コレをやっていただきました。

頭の緑のものは、だれかがワカメをかぶせてくれたようです。

コレ冬の1月にもやります。

夏は気持ちいいいですが、

冬はそれなりに、覚悟がいります。

かたゑ庵の前で、神輿を待ちます。

近状の方々がかたゑ庵へ集まってきます。

こちらで用意したビールや酒、つまみをふるまいます。

この写真は、

地元の写真家池田淳一郎さんが

このブログ用にと昨晩送っていただきました。

 

NHKでかたゑ庵紹介!!

7月24日にしまねっとで紹介されました。

4月から密着取材を受け、かたゑ庵と地域の人との結びつきを中心に

放送されました。

特に外国人観光客をターゲットにした民食を中心に

地域を生かし、高齢者の生きがいをも。

外国人にベジ寿司ワークショップ

民食

 

地元片江のお寺で禅のアクティビティ

子どもが1才と3才の時に片江に移住、借家で10年暮らす。
海の生活を満喫。

片江の風土と暮らし。

※NHK松江放送局のしまねっとで放送後

中国5県で再放送されました。

 

私の最終目的、

この片江に移住する人を呼び込みたい。

10年前の人口700人。

今は500人。

急激な片江地区の人口減少。

私たち家族が子どもの幼少期にこの片江で育てることができたことが

一生の財産になっている。

幼少期の10年くらいをここで暮らす提案。

定住の提案ではなく、期間を限定することで

移住が進むと思います。

 

なにより若い世代が入ってくると活気が出ます。

そしてこの片江には空き家が30軒以上あります。

そこを借りていただく提案です。

そのお手伝いします。

ご相談ください。

 

 

 

 

 

 

7月24日(本日)NHKでかたゑ庵が放送されます。

今年の4月より、密着取材をしていただき、

いよいよ放送日が決まりました。

最初25日予定でしたが変更になり

7月24日(水)18時10分

NHK総合 しまねっと、で放送されます。

今までの収録時間は9時間と聞いています。

それがわずかな時間に編集されます。

先ほども、NHKから問い合わせがあり、編集の真っ最中とのこと。

昨日は、これより先に

ケーブルテレビでかたゑ庵紹介されました。

かなり疲れ切った表情でしたので、

今日のNHKではどんな表情か

心配してるとろです。

 

さて、

かたゑ庵は500㎡近くもある古い元民宿、

7年前、この建物は、もはや獣の住みかとなって、土足でないと歩けない、

お化け屋敷のような状態をコツコツ時間をかけ綺麗にしてきました。

最近は建物の痛みも早くなってきて、

このまま何もしなければ、

資産ではなく、大きな負債になるところでした。

確認申請書なしのこの物件は

図面を一級建築技師に頼むところから始まり

地元の大工さん工務店・水道関連・また火災報知器の設置。

1年以上の期間を経てここにきました。

保健所・建築課・消防署の現地確認も終え、

先週、保健所の許可書をいただきました。

これまでの地元の人とのご支援や協力、

また、インターネット上の募金システム

クラウドファンディングでの

たくさんの方のご支援で

今かたゑ庵として蘇生しました。

また以前からかたゑ庵敷地内にありました、祠や建物内の神棚も

地元の宮司にお願いし、

この地の神々に祈りを捧げ

この漁村の信心深い人々との共生と繁栄を願いました。

これから片江の漁村を生かしたゲストハウスかたゑ庵として

もっと楽しい漁村になりますよう

その役割を果たしていきたいと思います。

UG

 

 

 

 

 

 

かたゑ庵の改築工事も無事終了!!

かたゑ庵の改築工事も無事終了し、
昨日、保健所・建築課・消防署の現地確認が行われました。
来週宿泊業の許可がおります。
ここ一週間は、リポートの更新もできないほど、
慌しい日々を送っていました。
また、地元片江の大工さんたちもこの現地確認まで、
全力でがんばっていただきました。

最後は2人体制から他からの応援も入れ4人体制。

納期をきっちり守っていただきました。

プロはさすがです。

その夜、今回建築資材をお願いした片江のナマさんは
深夜1時まで、各種最後の取り付け確認作業に蒸し暑い中蚊にさされながら、
その翌日も、ぎりぎりまで廃材の撤去にも協力いただき、
万全の体制で迎えることができました。

ナさんお疲れ様でした。

当日は

火災報知機及び敗戦工事をお願いしました和光電通さんが

消防署の立会い。

そして松江市建築課の立会いは、図面を一から引いていただきました

真建築設計事務所さん。

松江保健所は私が対応。

 

様々な方々のお力でここまできました。
感慨無量です。
心よりお礼申し上げます。

 

今後は、まだまだ準備が必要です。

プレオープンをしながら、徐々にグランドオープンへ向けていきます。

いつから宿泊できるのか、料金などまだ決めていません。

でももうすぐです。

今後決まり次第お伝えします。

今後ともよろしくお願いします。

 

 

 

 

今朝の片江の大敷(定置網)大漁でした。かたゑ庵目の前。

久しぶりに早く起きて片江の大敷(定置網)を見に行きました。

今日は大漁で、仕分け作業に駆り出されたという地元の方にも会いました。

この仕分け作業も魚の種類をわかっていないと、できません。例えばマアジとマルアジ。同じアジなのですが味が違います。マアジがおいしく値段もマルアジより値段は高いのです。

ここでも水揚げされた魚は、すぐ仕分けされ箱詰めにされ境港でセリにかけられます。

さて、ここで仕分けされた魚は、いったん種類ごとに箱に分けられます。

わけられた魚は今度は、発泡スチロールの箱に詰められるのですが、

それまでの間に、魚を選んで買うことができます。

 

はい、このビニール袋を持った方にご注目ください。

箱から魚を選んでいます。

そして魚の種類ごとはかりで測ってもらって支払います。

日曜日や祝日以外は、毎朝この風景が見られます。

以前私の友人を朝早く来てもらって、ここで魚を買って、すぐに片江の家で捌いて、事前に用意してたすし飯を握って、握り寿司にして食べました。

ここではこんな楽しみ方もありますよ。

UG

消防署へ各種書類提出。宿泊者の命を守ることに使われる支援金。

先日、消防管理者甲、二日間受講し、管理者となり、昨日それを持参し、ご指導いただきながら、各種書類を提出することができました。

消防管理者受講し、各種書類を提出し、多くの命を預かってる認識を新たにしました。

かたゑ庵は元々民宿だった物件なので、当時の建築確認証があれば、改築工事することもなく、そのままゲストハウスとして、使えたわけです。

 

しかし、現在、多くの筋交いの補強と耐火石膏ボードでしっかり守られた宿泊室を見ながら、もし以前のままで営業し、火事になったら、天井はあっという間に燃え、一気に隣の部屋へ移り、多くの犠牲者をだすことになったのではと、改めて思いました。

今回の改築工事のほとんどが、その安全を高めるためのものでした。

 

2階廊下の片側側面の壁はそこだけ、石膏ボードをむき出しにしてます。

そこは化粧ボードやクロス張りをしていません。

しばらくそのままにしておこうと思います。

コストの面とこの無機質な黄色っぽい壁を、ゲストの方と一緒に芸術的な壁にならないかと。

書道家が泊まっていただければ、一筆お願いするとか。

この壁に新たな役割を与えたい。

 

今度宿泊されるかたは、まだ工事中だと思わないでください。

その壁のコストをケチったことは、認めましょう。

でもかたゑ庵は、以前より安全な建物になったことは間違いありません。

あとは、避難訓練や法廷点検、消防管理者講習で学んだことやってまいります。

 

そして、

今回のクラファンでのご支援金が、宿泊者の命を守るために使われます。

 

UG

 

 

 

大工さんの家にある、虎の絵、またいいことみーつけた。

その話を聞いて、

ぜひ見せていただこうと思っている。

毎日来ていただいている、片江の大工さんのお父さんの絵の話。

 

絵がうまかった。

特に虎の絵が。

 

お寺に寄進した。

結構たくさんん寺に。

 

怒った顔の虎の絵

迫力あった。

 

その怒った絵を描くために

やったのが

 

猫を連れてきて

わざと怒らせた

 

その表情を使ったとのこと

 

 

畳一畳の大きさ

買わせてほしいと頼まれたこともあるという

それもかなりの大金だったという

 

その無名の芸術家に

興味が沸いてきた。

 

大工になったのも

その父の器用さも関係あるのではと

休憩時間での話し。

 

またひとつ

楽しみが増えた。

 

UG