40年を経て、同じ日同じ場所、大山山頂でのあの出来事共有。ハンググライダー物語

2カ月前の8月、隠岐の島の大人の島留学に行く20代の女性が宿泊され

いつものようにバーカウンター越しに

まずは大人の島留学についてこれからの抱負などいろいろ

おはなしを聞かせていただきました。

 

その中でご両親の話になったときに

そのおとうさんが昔ハンググライダーをしていたとの話がポンとでてきました。

私も一時期ハンググライダーをやっていたとこともあると話すと驚かれ、

いつかお父さんにもお会いできたらとお話をしていました。

そして

先日そのご両親が娘さんに会いに隠岐の島へ行かれ、

その帰りにかたゑ庵へご夫婦で今回ご宿泊いただきました。

娘さんからぜひ、と聞いて泊まりに来たとのこと。

 

ありがとうございます。愛知県から来ていただいた小池ご夫妻。

また今回もバーカウンター越しにお話を聞く中で、

自然とそのハンググライダーの話題になりました。

 

それを聞くうちに共通のキーワードがでてきます。

当時お世話になったハンググライダースクールの校長、川瀬氏の名前

当時のフライトエリアの霊石山

 

そこからさらに、驚いたのが

そのころ、大山山頂でハンググライダーでのNHKの取材撮影があったこと。

それに続いて、

そこに撮影に参加していた彼の知人のパイロットの名前がでると

その自分の記憶とその符合に驚きの声が思わずでました。

 

それは、その時、間違いなくお互い大山山頂で、同じ日同じ場所で出会っていることがわかった。

その瞬間から

昔の出来事が蘇り、お互い時間を忘れて当時の話に花が咲きました。

 

当時1985年

NHKが国連の国際青年年に合わせて全国のユニークな活動をしている若者たちを取材していた。

私が当時所属していたハンググライダーのチームにもその取材の話が来て、

大山山頂からのフライトのようすを特集でとりあげたいと。

それは、また国際青年年キャンペーンに放送でも使うと。

 

そこで、大山の山開きに合わせて行うことになり

当時島根・鳥取両県の山陰でハンググライダーしていたパイロット5名が協力することになった。

私も、その中のひとりとなった。

 

そのNHKでのハンググライダーの機体運びのポーターを募っていたことで、

それに参加していたのが今回のゲスト小池さんだったことがわかった。

 

さらに小池さんは当時鳥取大学の学生で、ハンググライダー部に入り、

大会では優勝してた優秀なパイロットということもわかった。

私が利用していた霊石山フライトエリアでも大学生がよく来ていたので

そこでも会ってただろうというはなしでも記憶を辿りながら盛り上がった。

 

40年を経てこのゲストハウスで再会するとは、思ってもみなかった。

 

もし

娘さんが隠岐の島の大人の島留学で島根に来なかったら

私がこのゲスハウスをやっていなかったら

かたゑ庵へ泊まってなかったら

娘さんがお父さんのお話をしなかったら

どれかひとつでも欠けていたら

この再会はなかったと思う。

このすべての偶然に感謝したい。

 

今後もスカイスポーツをしている方が宿泊されることがあれば、

共通の話題のきっかけになるかもと思い

久しぶりに当時のアルバムを引っ張り出してきて

今回はその時の写真を参考までに少し載せて当時の記憶を辿って、紹介させていただきます。

また、このかたゑ庵のブログでこのハンググライダーのことについて書くのは初めてですので

今回の再会をきっかけに、私の20代、青春のアーカイブのひとつとしてここに当時の記録として残しておくことにもしました。

 

1985年、大山の山開きの前日、登山口にハンググライダーをカートップに乗せて集合。

重さは30KG以上の折り畳んだ長いハンググライダーの機体を担いで登る。

私がハンググライダーをはじめた当初は、基礎練習のため鳥取砂丘の馬の背の頂まで、
ひとりで担いで登ったがとてもきつかったことを思い出す。

現在はハンググライダーは馬の背では使えないようだ。砂丘の別な場所で行っているとのこと。

この長い機体5人分5本を何人か交代で山頂まで運ぶ、カメラマンがそれを撮影しながら登るので
通常の2倍の時間が登頂までかかった。
パラグライダーがまだ普及していない時代であったので
今ではハンググライダーでこんな面倒なことする人はまずいないでしょう。

山頂の山小屋で夕食をして一夜をすごす。以前の山小屋を知る方は懐かしい室内の様子だろう。

翌朝、山頂での機体の組み立てがはじまる

大山の山開き山頂祭の神事にパイロットやポーター・NHK関係者も参加する。

この時のNHKのリポーターが右の鉢巻の人。それが当時、NHK米子支局のアナウンサー道谷眞平さん。
この方は、のちにシドニーオリンピックの柔道の篠原vsドゥイエなど様々な大会の実況中継をはじめ、
スポーツ実況で定評のあるアナウンサーとなられます。


同行されたカメラマンと音声クルーも過酷な撮影だったと思う。

まず3機が無難にテイクオフ。そして、私のフライトの順番がまわってきた。
山開きのために登ってきた登山客の多くの視線を浴びながら風を待つ。
この時、今回かたゑ庵にご宿泊された小池さんはこのフライトの瞬間を40年前に見ている。

昔のハーネスは、今とは違い体がむき出し。そのため現在のものより風の抵抗もかなり大きかったと思う。
緊急補助パラシュート(手元の黒い四角い部分に格納)は当時でも必須。
現在も持っているがリパックしてないので、もうまく開かないだろうし使うこともない。
バリオメーター(昇降計)は当時高額で、私はつけていなかった。
これがあるとサーマルをうまく生かせるのだが。

下界を見ると最初少し雲がかかっていたが視界が良くなってきた。
ここから飛び出して岸本町方面に向かう。そこは農家から借りた休耕田の場所にタイヤを燃やして狼煙(のろし)にした目標へ。
5名のパイロットは全員そこへ向かう。
着陸の様子を映すためカメラマンがそこで待機する。そのほか同行するカメラマンやヘリコプターから空撮のカメラマンなど
当時としては大掛かりな撮影チームだったのだと思う。

向かい風が左右の頬をなでる。顔を左右に少し振り、真正面からの風を左右の耳から感じるこの感触を思い出す。
スタンバイOK。後ろで心配そうに見ているのが道谷アナウンサー。

そしてテイクオフ。すぐにアップライト(上の写真の状態)から体を前に倒して水平になり下のコントロールバーを掴み、同時にフットバーに足をかける。

体はナイロンベルトのスイングラインとカラビナの一点で機体にぶら下がっている。
左右の体重移動とコントロールバーの押し引きで操縦する。
下の写真は、右に体重を移動して右に旋回している状態。

テイクオフ地点から少し上昇し、着陸ポイントを目指す。

風を切る音がからだを包む。

NHKが広島からチャーターしたヘリコプターからの空撮もはじまっており、フライト中パタパタとヘリの音が間近に聞こえた。

そしてNHK放送時のタイトルは、『爽快・大空へ挑む』となった。
この番組では、同時に大山の一木一石運動も取り上げ、50分の特集となる。
その後、この番組を数分に再編集され、国際青年年のテーマ曲佐野元春 – Young Bloodsが流れ
そこに大山頂上を目指し、このフライトに至るシーンが朝ドラの後にしばらくの期間、連続して放送された。

そもそも

私がハンググライダーをするようになったのは、

それ以前に、

元々はスキーが一番好きで、言うまでもなく『私をスキーに連れって』世代。

当時は毎年、スキーシーズンは近くの大山はもとより

年末年始の休日にスキーツアーの夜行バス(当時の山陰中央トラベル、担当Fさんにお世話になってた)に乗って、

長野県の野沢の麹屋さん宿泊でスキー三昧で毎日過ごした。

もっとうまくなりたいと、野沢の富井スキースクールでも鍛えていただいた。

腕試しに地元でのスキー検定のテクニカルプライズに一度挑戦したことがあったが、受からなかった、

そんなことまでも思いだした。

 

スキーシーズンが終わっても5月の連休はスキーを担いで列車に乗って雪のある立山や尾瀬の至仏山などでも登って滑っていたが

それ以降のオフシーズンにできるものを探していた。

中でも特に人力だけで、できるものに魅力を感じていた。

なので当時、ディンギーのヨット・ウインドサーフィンン等のマリンスポーツも宍道湖で始める中、

プロのスキーヤー只野直孝氏もその当時ハンググライダーをはじめていたこともあり、そこからスカイスポーツにも挑戦するようになる。

後に、大田の三瓶山でスカイスポーツフェスティバルがあり、ボランティアスタッフとして関わりながら、デモ飛行された只野直孝氏にもその時お会いすることになる。

 

さて今回長くなりましたが


スカイスポーツをやっている方、やっていた方。

のみならず、

何かに一生懸命取り組んでる方

これから取り組もうと思っている方

何かおもしろいことやってる方

やろうとしている方

とくになんにも考えていない方も

かたゑ庵のバーカウンターで

今度はあなたのお話をぜひ聞かせてください。

お待ちしています。

 

松江→大阪、一畑バス外国人割引料金2000円、イタリア人5泊。そしてゲスト間交流。

かたゑ庵に宿泊されたイタリア人青年。

帰る前に買った松江→大阪のバスチケットを見せてくれ、それが

なんと2000円。外国人割引が適用となっていました。

私も知らなかったのですが、松江に来られるのも使えると思いますので外国人は、

この情報も今後伝えようと思います。

さて、このイタリア人の方は、結局2泊から5泊に延長して、

周辺の観光だけでなく、

その間かたゑ庵のゲストや地元の人との交流がなされました。

隠岐の島から練習試合に来たテニス部の高校生も。

イタリア人の演奏に聞き入ってました。
本来はアコーデオン奏者ですが、足踏みオルガンで演奏していただきました。

ホワイトボードを使った国際交流。

イタリアの地元の紹介をタブレットで。

また地元の方が中学生時代の同窓会に利用していただいて、そこでも交流がなされました。

恩師を囲んでの同窓会に思いがけないゲストの交流がありました。

かたゑ庵のBBQも大盛り上がり

いつもの地元のメンバーもかたゑ庵前の暗闇で車のライを浴びながら。

また移住相談の女性おひとりが兵庫県から来られ、

2泊の予定を延長して3泊されました。

しまね定住財団のスタッフの方にも来ていただいて、ご協力いただきました。

片江の海に潜って動画の撮影したり、周辺を散策。積極的に地域を体感されていましたが

これもこのイタリア人の彼がいたおかげで、より楽しかったようです。

このイタリア人はプロのアコーデオン奏者とのことで、

大阪万博にその演奏のために来られたということです。

彼の地元で演奏している動画を紹介してもらいましたので、これをご覧ください。

地元の伝統的な曲をアレンジしているとのことでした。

万博でもこのように20人くらいの演奏者と一緒にメインステージで演奏したとのことです。

私は、大阪万博には行けませんでしたが、彼のおかげで少しだけ万博へ行った気になった、かな。

彼が書いてくれたメッセージノートには、感謝の気持ちと5泊では足りなかったと書かれていました。

こちらこそ感謝です。

 

万博での演奏者としてイタリアから来日、かたゑ庵で5泊とマイクロツーリズム

最初の予約は、2泊、そして延長してトータル5泊されました、ゲストはイタリア人。

今回は、大阪万博にアコーデオンの演奏者として来日。

その仕事を終えて、ピンポイントでかたゑ庵へ。

どこからお話をしようかと思うほどのこの連休を挟んだ6日間でした。

彼は、イタリアのプーリア州このあたりから来ました。

かたゑ庵までローカルバスで来ましたが、ホームページの英文でバス路線について

詳しく説明していますので、今まで外国人の方は迷わす来ていて今回もそうです。

まずは、歩いて行ける片江町内の観光です。

かたゑ庵から歩いて6分の方結神社で参拝。ここは墨付け祭りで有名です。

神輿も外国人にとって、魅力のひとつ。
常設してあるので、いつでも見られます。

小さな神社ですが、立派な本殿です。

そしてそこから1分の禅寺、

一歩中に入ると豪華な飾りつけに皆驚かれます。
住職にお願いすれば座禅もさせていただけます。要予約(かたゑ庵がお取次ぎします、無料)

なんといっても歩いて1分のビーチの透明度は抜群。

歩いて5分の定置網は、見学しても直接買うこともできる早朝の観光スポットとしても人気があります。

連日自転車で、島根半島から境港、松江市内へ、一日に40km走行の日も。

今まで観光地として見られてなかったこの片江漁村ですが
外国人にとって、ここにある身近なお寺や神社は魅力ある観光資源のひとつです。

さらに

かたゑ庵を起点にすると効率のいい観光ができます。
地図に見える化するとよくわかります。
外国人の方もそのメリットがだんだん伝わっていっています。
今回のイタリア人もそう、これこそがマイクロツーリズムを活かした観光です。
それが2泊の予定が5泊の連泊になったひとつの理由です。

さて、今回はアコーデオン奏者ということでしたがあいにくかたゑ庵には

アコーデオンは置いていません。

しかし、以前ドイツから来た方がアコーデオン奏者でしたが、

足踏みオルガンでも弾けたので、今回も

それでお願いしましたらいい演奏をしていただけました。

しかもこの連休に宿泊されました女子高校生テニス部の方々や

当日、同窓会をされた方々。

また移住相談で他府県から来られた女性。

全員

その演奏を聴くことができました。

そして

ゲスハウスならではの交流がなされました。

それは次のブログでお伝えします。

 

 

朝ドラ、『ばけばけ』と文化情報誌『湖都松江』50号発売開始!

先日の9月30日、松江の文化情報誌『湖都松江』50号がこの編集長である高橋一清様から届きました。

ふりかえれば、今年の2月、高橋一清様から取材依頼の丁寧な手書きの手紙が届き、

続いて3月、編集部の福頼様の対面による取材。

そこから約七カ月。

待ちに待った郷土の文化情報誌『湖都松江』50号が発売されました。

郵便ポストから取り出し、早速、封筒を開けると、丁寧なお礼状と一緒に『湖都松江』50号が入っていました。

手に取ってまず表紙を見ると

特集『松江の観光 いま そしてこれから』

となっています。

その表紙を開くと

そのテーマに沿った方々の取材先の目次。

しかもそこには松江を代表する老舗の旅館やホテルの経営者など

知名度の高い方々がまず目に入り。

その中で、ほんの6年前にはじめた、小さなゲスハウスかたゑ庵が

それらと肩を並べて

『漁村を”歓交地に”交流拠点拠点 かたゑ庵 青戸裕司』の見出し。

 

恐悦至極でございます。

 

そして、奇しくも

これが届いた9月30日は、朝ドラの「ばけばけ」の放送開始の日。

このタイミングでのこの50号の記事に載ったことは、とてもラッキーと言えます。

というのも

このドラマの影響で、きっと松江をもっと知りたいと思う方が今後増えることは間違いありません。

その中でこの「湖都松江」の読者も広がる可能性がおおいにあると思うからです。

 

今回の50号記事、一気に全ページを読んでみましたがどれもこれも

松江を様々な人物や視点から広く深堀する記事で、私にとっては新たな発見の連続。

特に、今回の記事の中で私が注目したのは、

古浦義己氏の記事、『松江国際文化観光都市 秘話』

なぜ松江市が国際文化都市に認定されたのか。

それはラフカディオハーンの存在なしには語れない記事で、

もっと多くのひとに知ってほしい内容です。

この記事で松江市が「文化国際観光都市」にどのようにしてなされたのか私自身、

その背景を史実としてさらに知ることができました。

 

一方、ネットを通じて、世はセンセーショナルな記事や憶測での不確かな情報に溢れています。

今こそ、今回取材を受けたように対面で一次情報として、

事実確認と時間をかけ、推敲をなんども重ねた書籍こそ、信頼できる情報源として残していくことが益々大事だと思っています。

その意味でとりわけ『湖都松江』の存在とその役割は大きいことは、私が言うまでもなく多くの読者が感じていることと思います。

松江の文化を出版を通し牽引していく格調高い文化情報誌『湖都松江』に取り上げていただきましたことは

私にとって、今後の活動を後押しする励みとなります。

今回、編集長の高橋一清様はじめ、直接取材していただいた福頼様、そして編集に関わられました方々に

心より感謝申し上げます。

 

 

 

カヤックビルダーの豊島氏、かたゑ庵来たる。新艇試乗会・リペアー講習からピアノ演奏まで。

9/26~28の3日間
カヤック工房セントムの豊島氏が三重県から手作りのキャンピングカーに新艇を乗せ4年ぶりにかたゑ庵へ来られました。

今回は、釣りに特化したカヤックの新艇や今まで納品したカヤックを使っての試乗会や

カヤックの補修研修や島根半島のツアーも兼ねてこの連休の3日間行われました。

豊島さん、到着が予定よりも早めでしたので、片江湾をカヤックで当日来たカヤッカーも連れて早速ツアーの案内役させていただきました。

今回は、海の状態もよく

豊島さん他、今回のゲストもカヤックスキルが高い方々でしたので、

少し足をのばして、とっておきの場所へ案内しました。

豊島さんは、このツアーのあと新艇に釣り道具をつけ、実際に釣りも試していました。

 

ここは奥行100m以上の大きな洞窟。

この洞窟がある場所は半島の突端になりますそので、そこは波が高くなることが多く
ここに行くのは、条件のいいときと、ある程度スキルのある方を選ぶ必要があります。
その点今回はラッキーでした。


洞窟にはライトを照らして中に入ります。

一番奥ではカヤックもゆったり旋回できる広さ。


ここは、まるで城壁のような柱状節理の断面が見えるスポット。

ここは出発地点から反対側、片江半島の東側の洞窟。

透き通った水面にみなさん感動。


私は、日ごろ3人乗りカヤックでゲストを乗せてツアーを行っていますが、
今回は久々にシングルカヤックでのツーリングで、
そのせいか、日頃より解放感に満ちたパドリングでした。

なにより、豊島さんと話しながらのツアーリングは、最高に楽しかった。
エンジンが無いカヤックは、静かでカヤックしながらでも周囲のカヤックにも声がよく伝わります。

そして
カヤックの職人技のリペアー講習会。

その講習会で、リペアーの実験台として私のトリプルカヤックを使っていただきました。
このカヤックは、ゲストを乗せる回数が多く、かなり船底が痛んでいました。
以前から気になっていましたが今回これをリペアーしながら解説をしていただくことになり、とてもラッキーでした。

豊島さんの長年の積み重ねの経験がことばの端々にでてくる研修会。
みんな聞き入りました。

傷がみるみる補修されていく様を見ながら
ベンケーシーのワンシーンを見ているようと言えば、限られた世代のみ伝わるか。

この状態をほっておくと海水も染みてもっと大きなダメージになるところでした。

さて、この状態から

このように補修され、そしてきれいにもなりました。

これでひとまず安心。

今回もまたいろいろと豊島さんに、お話を聞かせていただいた。

16才から和造船の道に入った豊島さん。
ひたむきな努力と、職人魂が伝わってくる話で、
その内容は、私から見ると苦労話といえるものなのだが、
それを豊島さんは、気負わず笑顔も絶やさず、
そして数分おきに下ネタで脱線する話題をわざわざ盛り込で周りを笑わす。

それは、豊島さんらしい気遣いと私は思っている。

そんな、豊島さんのファンが佐世保や千葉・山口・長野・島根県内など全国から集まってきました。

新艇を豊島さんから解説。

新艇は、カヤックで釣りをするために作られたカヤック。

クーラーボックスもハッチにビルトイン。

豊島さんは直販はしない、必ず地域の信頼のおける代理店を通じて納品をすることにしている。

それは直販では、どんなひとが使うかわからないので、それが怖くて渡せないという。

きちっと使い方までアドバイスできる人を通して販売したいというのが豊島さんの基本的な考え方です。

島根県では、ガイナカヤックスの森山さんが代理店で、今回のイベントも豊島さんと共同で行っています。

 

シットオンカヤックなどにクーラーボックスを乗せているのをみて
もっと安全なものをと作られたそうです。
釣り好きにはたまらない特別仕様のカヤック。

魚探もこのままハッチに、そのまま自由に開け閉めできる。

全国から集まってきたカヤッカーの皆さん、海から片江の神社にも参拝していただきました。

宴会1日目、翌日は、一般のゲストとの交流も。


豊島さん、4年前からはじめたというピアノ。ここで弾いたのは「イマジン」
私と一緒で楽譜は読めないがコードから入って練習したとのこと。

ギターは4年前に聞かせていただいたが、そこからさらに趣味の幅を広げている。

これだな、豊島さんのカヤックに対する姿勢は、様々なところで感じる。
やろうと思えば、たった4年でここまで弾ける。
そして練習の最初に選んだのがイマジンだったのか。センス良すぎる。

夜遅くまで残ってカヤック・ヨット・音楽・人生、
しゃべりまくたのは、私を含め昭和世代。

最後は、まずはこれからの10年をどう生きるか、
山口でカヤックスクールされてる高木夫妻と

豊島さん、そのテーマで盛り上がる。

昭和世代は、また次回、どんな変化がお互い見られるか、

容姿は想定内、

頭の中身と行動は想定外の飛躍をお互い期待したい。

豊島さん、そしてここに遠方からも集ったカヤッカーの皆さんありがとうございました。

 

新聞の投稿欄、小学生の投稿にゲストハウスかたゑ庵!

地元の友人から連絡があり、

山陰中央新報のこだま欄(読者投稿ページ)にかたゑ庵が載っていると知らせてくれました。

それは、気が付かなかったので、

早速、数日前の日曜日の新聞を確認しました。

今回の投稿欄は、美保の関の魅力がテーマで、

「新旧の名所、すばらしさを感じ」のタイトルで

5年生の男の子の投稿です。

そこには、古くからの名所旧跡のことが書かれ、

最後に最近の話題としてゲストハウスかたゑ庵が

数行でしたが

カヤックもでき外国人観光客も来ると紹介されていました。

この紙面の下には、岩本悠さんの記事があったので、それに気がとられ

またいい内容だったので

気が付かなかったのでしょう。

こんな形で紙面に名前をだしてもらうとは、

予想することもなく、

しかも小学生に。

この投稿を読み返しながら

何かしら

オープンから今までの6年間の思いがこみあげてきました。

これを励みにまた頑張れる、

そんな気がしました。

投稿してくださった美保の関小学校5年生の日野君

ありがとうございました。

 

 

 

モンキーマジックと行動力半端ない鍼灸師の挑戦に心躍る。そしてカヤックへ

今回、茨城県から国際交流ボランティア活動の仲間、

愛子さんたちが

カヤック体験ツアーに来てくれました。

前日の海の予報は、あまりよくなく、午後からカヤック体験ツアー2組の予約が入っていましたが

市内の方々ということもあり、別な日に変更をご提案しました。

一方、午前中も風が強く波が高い予想でていましたが、

すでに愛子さんたち、松江の近くまで来ているとのこともあり、

こちらに来てから出艇を判断することにしました。

愛子さんは、ライフセーバーであり、英語も堪能でライフセービング世界選手権大会では海外での審判経験もあります。

今まで様々な波を経験していますし、

さらにサーフスキー(波に乗るカヤック)の経験もあり、

なので、

今回、波が高ければ、トリプルカヤックでのサーフも試してみようということにもなりました。

しかし、いつもとは違う、その期待に反して

波は穏やかで、サーフできる条件ではありませんでしたが

パドリングもしっかりしていて、スピードも乗り、予定のコース以上に周れ、このジオパークを満喫していただきました。

 

 

さて今回のトピックスは、

愛子さんがライフセーバーやサーフスキーは、もとより、

最近は乗馬など挑戦しているという様々なアクティビティしてるので、

さらに、そのほかいろいろ聞き出してみると、

その中に「モンキーマジック」というNPOの紹介がありました。

それは障碍者クライミングの普及を行っているとのことで、

健常者はアイマスクをして全盲の方と同条件でクライミングを競うということです。

愛子さんは、それにも参加しているとのことでした。

その中で、そのモンキーマジックを

松江で活動をしている方とつながっていることがわかりました。

それがなんと聞き覚えのある、そして以前行ったことのある

市内のウエルケアという鍼灸院の院長さんです。

以前お世話になった、その時は、

私がテニス肘(カヤックパドルの無理なフェザー角度による関節へのダメージ。現在ここでの治療により良好)や

股関節の痛み(年甲斐もなく、冬にスキーで低い無理な姿勢でのクラマーターンで痛めた。現在ここでの治療により良好)で

お世話になりました。

私はここに行くと

針治療をしてもらいながら

いつも

院長先生とお話をするのが楽しく、

先生自身、マラソンやらなんでも挑戦されていて、全盲であることを忘れてしまうことしばし。

今年の初め、久々に行った時には、春休みにご家族で宮古島行ってパラセールとカヤックに挑戦すると

お話になっていました。

そして今回、松江駅まで愛子さんを見送りさせていただいたのですが、

その折、院長さんに連絡をとられ、

駅から徒歩で近いこともあり、

院長さんも駅まで愛子さんを見送りに来てくださいました。

そして、愛子さんが「青戸さんと言う方を知っていますか」と尋ねると

私が以前話した内容を覚えていて

青戸さんと言えば、と話ははじめ、

私が傍にいることを知ると、そこで大いに盛り上がりました。

以前より片江でカヤックをやりたいといっておられましたので、いつか来られると思いますが

特に3人乗りカヤックは、障碍者1名に健常者2名を乗せることでツアーが安全に行えます。

今までは、足の不自由な方の利用については声掛けさせていただいていますが

今回、モンキーマジックの活動を聞き、思っていた以上に

ここに集まってくる全盲の方の身体能力は高いと感じました。

私が今まで思っていたツアーのイメージでは、

3人乗りカヤックの真ん中に全盲の方を乗せて、

パドルは、持たないで乗ってもらうだけで、ツアーするイメージがありましたが、

モンキーマジックでのクライミング事例を聞いていると

手から伝わる感覚は健常者以上ではないかと私は思います。

なので陸でのパドルの練習から入り、

ひととおり感覚をつかんだら、

カヤックの真ん中に乗り込み、

そこで、海面の感触を感じながら、後ろから声をかけていけば

十分にパドリングは可能ではないかと

思った次第です。

今度、かたゑ庵へ来られる時がとても楽しみです。


いつもの練習場所は、松江市内のボルダリングジム Kクライムとのこと。

11月の22~24日にモンキーマジックの松江で大会があるようです。

 

松江駅で先生と愛子さんがモンキーのポーズとってのツーショット。

 

 

本日は、フランスからのカヤック経験者のゲストと八束水臣津野命

今回フランス人の方と日本人の旅行者の方2名がカヤック体験ツアー申込されたのですが

島根に来て、日本人の方が足を痛めてしまったとのこと。

すでに松江に来ていて、

フランス人の方ひとりでもカヤック体験ツアーができればとのことで、

タンデムを用意し、

前日から海の状況を確認していました。

この前日も、カヤック体験ツアーの予約があり実施しましたが

ここのところ毎日、海の天候が刻々と状況が変化し、

どちらも天候が直前まで読めなくて、

来ていただいても中止もありうることを承諾して来ていただきました。

今回も、慎重に外部データーをぎりぎりまで調べ、

地元の漁師も漁船を出していましたので、

実施しましたが予定のコース、その時間帯は、風も波も強くなく問題なくツアーできました。

今年は、松江市の天気予報が雨でも、島根半島の北側だけが晴れるなど予報が外れることが多かった。

振り返れば今年だけでなく近年それを感じています。

この島根半島の地域が、くにびき神話の舞台であり、その主人公である、
八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)に守られているのかもしれませんが

その点、気圧配置と海天気JPの片江ピンポイントの予報と雨雲レーダー、さらには漁師の動きは、参考になります。

今回のフランス人の方はカヤックの経験があり、

十分楽しんでいただけたようです。

かたゑ庵のメッセージノートには、

丁寧にお礼の言葉が書いてありました。

フランス語で書いてありましたが

Googoleアプリで助かりました。

御年81才とのこと。パドリングも力強く、ツアーが終わってからそれを聞いて驚きました。
そしてなんといっても笑顔がいい。
私もかくありたいと思ったところです。

来年はお連れの方、秋に来るとのこと、ぜひよろしくお願いします。