昭和スキー、やっぱり楽しいウエーデルン。シュプール跡ではっきりわかるそのスキー操作。

さて、冬場はかたゑ庵のお客さんが少なくなるので、

スキーの動画をあげて、

特に昭和のスキーに興味がある方の集客を期待します。

とはいえ、そう簡単ではないことは、承知です。

また今後インバウンドを見据え、ゲストに帯同するスキープランも考えています。

昨年、香港から来た女性2名、カヤックツアーご利用されました。

その時に、

スキー場が1時間くらいで行けるので冬もいいですよと。

更に

もし私が一緒に行くとしたらどうでしょうか。

と提案したら

ぜひ来たいとのことでした。

その場合、Gopro撮影もすれば、新たなビジネスプランになるでしょう。

 

3月から少しカヤックの予約が入っていますので、

それまでは、こんな感じでスキーの様々な可能性を考えながらやっていきます。

ところで、そのカヤックのパドリングは、

スキー操作に生かされると感じています。

カヤックのパドリングの操作は、

お尻、膝、フットステップの3点がポイントです。

そのうえで、体幹を生かしたパドリングを行います。

腕だけの操作ではありません。

スキーは常にホールラインへ体を向けるようにしながら

上半身をブロックし、やはり体幹を生かして下半身のスキー操作へつなげていくものと私は感じています。

理論的には間違っているかもしれませんが、

少なくとも、私はカヤックをすることで、

スキーがとても安定してきたと感じています。

20代のころの、昔の滑りに近づいたとも言えます。

さて今回は、初めて私の滑りを後ろから追いかけ撮影していただきました。

こには、シュプール跡がはっきりとわかります。

この方法はスキーの重心移動やスキーの切り替えしの履歴になり、とっても参考になります。

また、今回、リフトに乗るときに何人か一緒に乗ることがあり、

リフト上で話しかけさせていただきました。

その中のひとりは、県外から来た方、

聞けば私と同い年、

5年ぶりにスキー再開し、そのためスキー用具に40万くらいかけたとのこと。

これはびっくり。

また今度は、

米子のスキークラブの方で、かなりのキャリアの女性。

その方に自嘲気味に昭和の板で滑っていると話しましたら、

「あら、今はこのスキーが流行ってるんですよ」

「これで滑れてたらかっこいいんです」

とのお話。

気を使ってそう話されたかもしれませんが、

何かうれしくなってきました。

昭和スキー、日陰の存在、絶滅危惧種と思ってましたが

とっても、うれしいお話いただきました。

 

かたゑ庵へ来て頂くための、昭和スキーのプロモーション。大山スキー場にて。

昨日、大山スキー場へ昭和スキープロモーションのためのビデオ撮影に

行きました。

かたゑ庵から大山スキー場まで車で1時間ほどの近い距離です。

とても晴れていて、雪もあり、

一方今後しばらくは

スキー場の状態は悪くなる可能性があり、急遽行くことにしました。

冬シーズンは、お客さんも少なくなり、

かたゑ庵の関心も薄くなりがちで、

願わくは、

大山にスキーへ行く方もかたゑ庵を利用していただければと、

そのため、

今までもこのシーズンはスキーの動画をあげています。

以前、ダメもとでホームページにスキーの動画上げていましたら、

それを見て来ていただいた家族もあります

私の強みは、「昭和」です。

その時代にあった文化やスポーツは、

同世代はもとより

若い方もそれは新鮮に感じていただけるのではないかと思っています。

今回は、当時の滑りと、

昔やっていた一本足だけスキー板を履いて滑るのもやってみました。

スキーが滑走をはじめスピードがつき

その時に

スキーを履いていない方の足が少しでも雪面につくと

それを支点として、急激な回転が生まれ

それにより大きくバランスが崩れ

派手なこけ方をして、

さらにリフトから降りる時にもバランス崩れ、こける。

今回は軽い打撲傷。

なので、体をはっての撮影になりました。

少し大げさですが。

スキーシーズン以外は、

カヤックのインストラクターとして、

3月から12月まで、かなりの日数を

日本海で3人乗りカヤックで客さんを乗せてパドリングします。

そのパドリングは、

体幹を鍛え、

スキーの操作にも生かされると私は感じています。

さて、それがどんな滑りに生かされてるかどうか。

どうぞご確認ください。

 

地域の話題を取り上げる、英字新聞の斎藤さん。墨付け神事を記事に。1/21追記

以前このブログで紹介しましたweb版の英字新聞発行しています斎藤さん。

この度今年の墨付け祭りの取材に来られ、その英字新聞ができたとのことで、

メールで案内が来ましたので、ここにその新聞を紹介します。

身近に外国人がいらっしゃったらぜひこのリンクをお伝えしてください。

The sacred Shinto rite: Fully reviving Katae Sumitsuke Tondo (Black Ink Festival)

日本語訳です。斎藤貴志さんから後から送っていただきました。

美保関で墨付けトンドが復活、神事に多くの参加者

美保関 — 島根半島の美保関片江地区で、2020年以来初となる墨付けトンドが17日に盛大に復活しました。片江船団(以西底引き網漁業)で知られた島根半島の漁村の神事に、過去3年間を上回る人出が集まりました。

当日午前中、片江では氷が降りましたが、地元民が午前11時半頃に方結神社に集まると、晴れ模様となりました。方結神社は、18世紀以前に建てられたと考えられ、クニオシワケノミコトを祀る由緒ある神社です。明るい木造の社殿と石垣が特徴で、参加者は神社で木の炭とお酒を混ぜた黒い墨を顔に塗りました。伝承によればこれによって病気や海難を避けられるとされています。また、御神酒も振る舞われました。

正午には神事が始まり、オレンジ色の上衣と水色の袴を着た女性神主2人が、神聖なメゾソプラノの祝詞で神の降臨を祈願しました。一方で、『片』の漢字が背中に刻まれた青い法被に身を包んだ氏子たちは、片江の守護神に敬意を表すために頭を下げました。2台の神輿の前で、2人の親富(おやと)と神職が玉串を奉納しました。

厳粛な出陣式の後、「チョーサダ、チョーサダ」の掛け声と共に2基の神輿が境内から勢いよく出発しました。女性のグループは観光客に御神酒や軽食を振る舞い、参加者の顔に墨を付けながら神輿の後を追いました。

神輿は片江の西地区を練り歩き、その後、2つのトンドが建てられた広場でしばらく休憩しました。輝かしい片江漁船団の大漁旗を掲げたトンドは、7メートルの東風に吹かれて片江のランドマークとして際立っていました。

「コロナウイルスによる制限が解除されたことで、私たちのビジョンは広がりました。これは素晴らしいことです」と、ゲストハウス『かたゑ庵』のオーナーであり、神輿の担ぎ手でもある青戸裕司さんは述べました。休憩後、神輿は地元漁師にとって重要な漁場へ向かい、担ぎ手の士気は最高潮に達しました。

その後、神輿は東地区から海岸に戻り、海水に浸されて清められました。祭りのハイライトとして、親富と新婚の夫、マスコミ関係者らが極寒の海に投げ込まれました。

美保関は宮野山と日本海の海岸線に挟まれ、出雲風土記にはクニオシワケノミコトがこの地をカタエと名付けたと記載されています。この集落には約500人の住民が暮らしており、片江までのアクセスは東京(羽田空港)から公共交通機関で約3時間を要します。羽田空港から米子空港までの所要時間は1時間半で、そこから境港駅まではJR境港線またはバスで20分。美保関コミュニティバス「宇井フェリー乗り場行き」に乗り換え、10分で片江中央下車15分の旅程です。

(文=斎藤貴志)

4年ぶりの墨付け祭り。神輿を担いで海へ入る。今回恒例の海への投入れは、志願の女性記者。

ここ4年間コロナ禍で、祭りの中止は、なかったもののかなり縮小し、

墨付け祭りの一番の特長である、

顔に墨をつけて、神輿で練り歩く行事が、できなかった。

昨日、4年ぶりやっと本来の墨付け神事が行われた。

今回は、Goproを首につけて撮影、神輿を担ぎ、練り歩き

そしてメインイベント、海へ。

今回、山陰中央新報の女性記者が

墨付け神事、恒例の海へ投げ込まれる胴上げ、に志願。

「着替え持参しています」と。

すごい記者魂。

これは、さすがにAIには、この生身の体験を記事には書けないだろう。

海の中につかるのはわずかな時間ではあるも、

体全体が海の中に沈む。

この冷たさにどれくらいの時間耐えうるだろうかと考えたときに。

例えば、震災時において、海に投げ出された人が

どのような冷たさの中で、

どんな思いでがいただろうかと。

この体験を通して、実感として感じることは間違いない。

そして、今後の記事にきっと生かされることでしょう。

 

私にとっては、この海に入る神事はカヤックで生かされます。

このような環境では、お客様を乗せてのカヤックツアーはまず実施はしませんが、

もし、冬の寒い時期に、カヤックから海に落ちる、

それでも冷静に判断できるかどうかはやはり実体験です。

この神事は、海に落ちてもパニックに陥らないように、

体で経験させる

一つの方法だと思っています。

この神事、ひょっとしたら漁師の冬の対策のひとつだったかもしれません。

 

ちなみに私たちはその後、海から上がって、また神輿を担いで練りながら神社へ。

濡れた体は、海にいる時よりも、より一層体に凍みて、体がガクガク震え。

すべての片づけが終わると真っ先に温シャワーへ。

神社の飾りつけの竹や松は昨年末から担当が準備。

表裏8ページに及ぶタイムスケジュールと担当者の名前。

いつどこでだれが何を細かく指示されています。

トンドの立て方も。

トンドをたてるための孟宗竹は40本、祭り前日に山から切って運ぶ。

片江は、1~6組に分かれ、祭りの準備は順番で今回1・2組が主となって行います。

かたゑ庵、属する1・2組は一番住民が少なく、いつも少人数でやっていかないといけません。

飾りつけは、住民総出で行います。

片江に、ここ5年間に移住してきた方は子どもさんもを入れて約14名になります。

今回、その方々が神輿を担いで町内を練り歩いていただいたり、

祭りの準備から当日のおもてなしなどを積極的に手伝っていただきました。

この祭りに限らず、

草刈り機で自分のところだけでなく、広域に除草作業を手伝ったり、

昨年移住された方も、片江古道整備のボランティアで積極的に関わっていただいています。

片江の人口は15年前が約700人、

現在400人台。

このままでは限界集落となってしまいます。

そんな中で、移住者が少しでも増えていくことはとってもうれしい限りです。

それは、片江のすばらしい自然の環境と住民の皆さんのおかげです。

特に私は、子育て世代の方が

子育て期間中をこの地域で暮らすといった提案を行っています。

あえて定住ではありません。

片江には、30軒位ある空き家、まずはこのどこかを借りて住む。

たとえ移住者がここから出て行っても次の家族がそこを借りていく、

これを不連続の連続と私は言っています。

もちろんそこから定住に進むこともありえます。

第一ターゲットは、松江市内に住んでいる方。

ここからは通勤可能管内です。

私の子どもは移住前当時、市内の保育園では待機児童でしたが、

美保関町ではすぐ入れました。

これも大きなメリットでした。

行政の移住者への様々な支援があることは、知っています。

しかし、移住者が借家として使う場合の大家さんの支援もあれば

よりたくさんの借家の提供も進むと思います。

例えば借家として提供した場合、家屋の固定資産税の免除など。

 

若い方がこの地域で生活していくだけでも、何かあった時のための大きな安心感になります。

田舎暮らしは、少しでも地域の役に立つ力になることです。

それは、そうしないと地域がこのままいったら持たないからです。

 

「持続可能な地域社会総合研究所」 所長の藤山浩氏と以前お話をしたときに

移住者した方が地域と関わらず。自分のしたい事だけをやる場合について氏は、

「田舎暮らしの、いいとこ取りだけは、だめですね」と

そのことばがとても印象に残っています。

地域と関わらない移住が増えるとどうなるでしょうか。

人口が増えたとしても、

自ずと確執やトラブルも増えてくるのではないかと思っています。

どんな方でも地域で、貢献できることはあります。

例えば、

住民の顔と名前を少しでも知っていることで、防犯や災害時の安否確認に協力できます。

そのための方法は、例えば、日ごろから、自分が知らない地域のことを聞いたり、料理を教えてもらったり。

きっと喜んで教えていただけます。

私もそうしてきました。

地域の方を頼り、そうして交流の輪を広げていくこともひとつの方法です。

そして、地域の方が自分が知っていることが役立つことは生きがいにつながることもあります。

ひとにより、また、頻度と時と場合ですが。

その塩梅は、当たって砕けろですね。

さて長くなりましたが最後に

昨日神輿を担いで海に入って場所です。

今日夕方撮りました。

ここにゴミ袋があります。昨日の神事で出たごみかそれまでに

この砂浜に押しよせた漂流ごみでしょう。

地域の人たちが広い集めたごみの一部です。

この余力がいつまで続くか、一緒に考えてみましょう。

新春かたゑ庵、第一号のゲストの皆さん、笑顔溢れる明るいスタートに。

今回ご利用いただいたのは、

当時、この片江に北中学校があった時の同窓会とのこと。

同級生ならではの気楽さ、楽しさがこちらまで伝わってきます。

皆さんの笑顔が輝いています。

元日に地震・津波の警報と甚大な災害報道があり、

この地域もどうなるかと

心配しましたが、

警報も解除され

予定通りご利用いただきました。

 

皆さんがこうして再会を楽しめる、

今しかできない事、

その瞬間しゅんかんを大事にしていたいものですね。

今回の元旦での震災から、さらにその気持ちを強く感じました。

 

日本海の津波は早い、5~7分くらいで到達も。だから「津波てんでこ」

1993年7月、北海道南西沖地震。

最大の被災地となった奥尻島では、最大29メートルの津波に襲われ、

死者・行方不明者は198人にも上りました。

そのドキュメンタリー番組が当時あり、

今回の津波警報で、その時の記憶が今、一瞬によみがえってきました。

 

昨日、かたゑ庵から出かける少し前でした。

町内にサイレンが流れました。

その時点で、新年の消防の行事かなと思っていたら、

続いてメッセージが流れてきます。

この声は、北朝鮮のミサイル発射の時のあの声。

「ああまたミサイルでも・・」と

思ってたら、

津波の警報とわかった。

テレビでは、緊急速報。

そして、この時に思い出したのが、

あの30年前に見た、奥尻島の災害ドキュメンタリー番組(NHKだったと思う)。

思い出した瞬間に「5~7分しかない!」

 

お客さんはいない、宿泊予約もない。

ガスの元栓を閉める。

それで

すぐに外に出る。

 

目の前で、海を見ながら立ち話の近所の人。

「日本海側の津波は早い、すぐ逃げましょう」と声をかけ、

車の移動を。

 

次に近所の

子ども連れの6人家族の方が見え、車のそばで戸惑っている様子。

「すぐに逃げて、そしてこんな場合、

子どもたちにどこへ逃げればいいか、

教えてあげてください。

親がいない時でもすぐに行動を起こせるように。

うちの子もそうしていました」

 

更に

目につく人には

「逃げましょうにげましょう。空振りになるかもしれませんが」

そう声をかけて車を移動。

 

そして、

今のところ現在まで空振りでしたが、

しかし、

空振りでなかったら、

あのドラマの再現を見ることになったかもしれないと。

 

そこで

思い出してもらいたいキーワードは、

3.11釜石の奇跡の「津波てんでこ」

ポイントは、日本海側の津波は、数分で到達するということ。

それを踏まえた”特別な避難計画”がなければ、なりません、

それが「津波てんでこ」にすべて込められていると私は思っています。

 

大丈夫かと、ご心配の連絡いただいた方へ

ご心配いただきありがとうございます。

津波警報前は、片江湾は何もなくおだやかな凪だった日でした。

警報後いつもと違う波立ちが防波堤の外海で確認されていますが

かたゑ庵もとより町内直接の津波の影響はありませんでした。

一方、今回の地震と津波で災害に遭われました方々の状況の深刻な状況が刻々と報道されています。

この災害からどうか、ひとりでも多くの方が生き延びていただけますよう願っております。

 

 

なお、13年前の3.11時、当時美保関小学校PTAで取り組んだ内容です。

特にNTT伝言ダイヤルを学校との安否確認に使った事例は、

そのまま今でも生かせますので参考までにここで紹介します。

特に、3,11では、携帯電話をはじめ、停電による通信システムのダウンなど、

ほとんどの連絡手段が失われていました。

そこで、学校と家庭を結ぶ、様々な連絡手段を考えました。

アマチュア無線保持者、船舶無線保持者(漁村ならでは)の保護者の確認と協力のお願い。

更に、NTTの伝言ダイヤルの活用を提案。

これは、災害時、学校にいる児童の安否について連絡手段の一つとして、NTT伝言ダイヤルを使い、

その「アクセス先電話番号を学校の電話番号」を使う。というルールを取り決め。

そして、そのNTT伝言ダイヤルを使った訓練を保護者の協力を得て行った。

その方法は

学校でNTTの伝言ダイヤルにメッセージを吹き込んで、それを保護者が自宅で聞くという演習を行った。

毎月、1日と15日は、伝言ダイヤルが災害時と同様に使えるので、その日を使った。

単なるメッセージではおもしろくないので、学校で考えたクイズを録音してもらい、

その答えをツイッターで上げるという訓練を行った。

これは情報の拡散を狙ってのこと。

これらは、2011年の震災の年に美保関小学校PTAで行った実例です。

今でも、可能で、特別な機器もいらず

NTTの伝言ダイヤルのアクセス番号を学校の電話番号にするという取りきめだけで運用可能。

当時、情報発信の様々な可能性について学校と協議し、下記はそれを図にしたものです。

迎春。お陰様で、かたゑ庵今年5周年を迎えます。

2024年元旦

新たな年がやってきました。

昨年の正月とは違う、

やっとやっと、

夜明けがきたような

気配。

今日からの一日いちにち

この瞬間を大事に生きよう。

本年8月20日で、かたゑ庵は、5周年を迎えることになります。

ことしもよろしくお願いいたします。

かたゑ庵

 

今年もお世話になりました。そのお礼を込め、ティンホイッスル演奏。

あっという間に今年ももう終わりですね。

皆さんはどんな1年でしたでしょうか。

昨年までとは違い、

コロナ明けのような感じになってきた年でした。

今年は、以前から予定していた手術で3月に3日間入院した以外は、

本日まで昨年同様休日にした日はなく、

コロナ禍の期間、あの損失を挽回をするため、

そして、かたゑ庵のファンを一人でも多くつくるため、かたゑ庵のお休み日はなしと決め。

ゲストの皆さんには、いつでも来ていただけるようにしてきました。

お陰様で

ご宿泊も県内県外、そして海外からのゲストも来ていただき

カヤックツアーのご利用も多く、

今年、新たに洞窟学会の方の洞窟測量調査が片江湾で始まり、

そのかたゑ庵でのカヤックを使った測量は全国初、

その成果は、

島根半島に新たな魅力の発掘につながっています。

繁忙期の7月8月は、予約された日が海の状態も良く、ほとんどキャンセルなしで、

海にでっぱなし、忙しい年でした。

そして、ゲストとの出会いの中、様々な人生のお話を聞かせていただき

ゲストハウスをしてなければ、

きっと会えなかったであろう方やそれぞれの生き方に触れることが今年もできました。

 

足踏みオルガンですばらしい演奏をしていただいたドイツ人の女性。

帰国後ポーランドの川をカヤックで700kmもの距離のチャレンジ動画を送っていただいたポーランド人。

島根半島ナショナルパークライドで来ていただいた台湾の方。

3泊4日の滞在中に、自炊スペースで夕食を作って、私の分まで作っていただいたオランダの方。

まるで居ながら世界旅行をしているような

充実した1年でした。

中でも、今年2泊していただいたアイルランドのご夫妻からクリスマスプレゼントが国際郵便で送ってきました。

アイルランドのたて笛ティンホイッスルです。

その送っていただいた方の思いに沿いたいと時間を作って練習をして、その演奏を動画で届けようと頑張ってます。

クリスマスの日から練習をはじめたばかりですので、

指の動きやリズムが乱れたり、お聞き苦しい演奏ではありますが、

私なりの今年お世話になった方すべてに精一杯の気持ちを込めてここで演奏します。

ついでにギター演奏も入れ編集してみました。

曲はアイルランドのDown By The Salley Gardens。

来年は、今回の演奏の動画からどこまでうまくなるか

ぜひかたゑ庵へ来ていただき今後の練習の成果をご確認ください。

それではよいお年を!