カテゴリー: 美保関町かたゑ庵ブログ
POST3.11当時の美保関小の取り組みと、POSTコロナ
2011年の今日、東日本大震災による大災害が起こった。
その当時を振り返りながら、POST3.11(3.11後)の教訓をどう生かしてきたか、
また現在進行中の新型ウイルスについても、
今何をして、POSTコロナ(新型コロナウイルス終息後)に向けて今何をなすかを
考えてみたい。
2011年3月11日は、奇しくも美保関小学校ではPTA役員の新旧役員の引継ぎが行われた日。
当時役員を引き継いだ私たちは、海辺に住むものとして、他人ごとではない危機感を感じ、
新年度に入り3.11を次に生かそうと、”脱指示待ち”を掲げ、
今できることを即行動に移した。
1、学校が津波の危険性があるにも関わらず、一度も津波を想定した避難訓練がなされていなかった。
その要望と避難訓練の実施。
2、緊急時の連絡体制。
当時、情報発信の様々な可能性について協議し、下記はそれを図にしたものです。
特に、3,11では、携帯電話をはじめ、停電による通信システムのダウンなど、
ほとんどの連絡手段が失われていました。
そこで、学校と家庭を結ぶ、様々な連絡手段を考えました。
アマチュア無線保持者、船舶無線保持者(漁村ならでは)の保護者の確認と協力のお願い。
更に、NTTの伝言ダイヤルの活用を提案。
これは、災害時、「学校の電話番号を使って」NTT伝言ダイヤルを使うというルールだけ決めれば、それだけで活用できる。
そこで、そのNTT伝言ダイヤルを使った訓練を行った。
学校でNTTの伝言ダイヤルにメッセージを吹き込んで、それを保護者が自宅で聞くという演習を行った。
毎月、1日と15日は、伝言ダイヤルが災害時と同様に使えるので、その日を使った。
単なるメッセージではおもしろくないので、学校で考えたクイズを録音してもらい、
その答えをツイッターで上げるという訓練を行った。
これは情報の拡散を狙ってのことです。
これらは、2011年の震災の年に美保関小学校PTAで行った実例です。
なぜわざわざこのような古い話をだすのか、
それは現在でもそのまま活用できるからです。

さて、今度は新型コロナウイルス。
対応に本当に困っています。
今できることは、消毒、換気、マスク等なのだが。
それ以外、何もしないで待つのか。
手詰まり感があるなかで何をどうしたらいいだろうか。
そう考えたときに、いつかは終息する、その後の新たなアイデアを考え、
その目標に向かっていく準備期間と考えたらどうだろうか。
もちろんそんな余裕のない方の方が多いことは想像できますが。
悶々と待つよりもその方が夢があって楽しい。
そこでPOSTコロナ(新型コロナウイルス終息後)に向けて新たなアイデアを考えることにした。
そしてひらめいたのです。
あるアイデア。
すでに、その具現化に向けて動き出しました。
このミッションに必要なインフラも交渉の上、先日確保。
そしてこのアイデアのコアとなる地域の人的確保も少しづつ進めています。
昨年来行ってきました「民食」の次の、
地域資源を生かした全国初の新たな取り組みになると思います。
それがどんなアイデアなのか。
ご期待ください。
いつでも、どんなときでも、今できることを、精一杯やっていきたい。
速報!!令和二年、片江墨付け祭りフォトコンテスト結果発表
片江の墨付け祭りフォトコンテスト、、
今年もたくさんの応募がありました。
その結果発表がありましたので、お伝えします。
このページの写真は、作品をそのままカメラで写したものですので、画質はあまりよくありません。
今後、片江のふれあい会館で、展示されますので是非ご覧に来てください。
片江墨付け祭りフォトコンテスト「最優秀賞」
タイトル「奮闘の喜び」広島県、楠木隆亮様

片江墨付け祭りフォトコンテスト「優秀賞」
タイトル「潔ぎ」松江市、山本正男様
片江墨付け祭りフォトコンテスト「優秀賞」
タイトル「準備OK」松江市、吉井暁雄様

下記入賞者
フィンランド人5人家族のお客様、口コミにて。
2月15日、フィンランド人の5人家族がノルウエーの友人の紹介でかたゑ庵へ来ました。
そこで、
フィンランド人が来たら交流したいと言っていた、自身もフィンランドに留学経験のある、布野さんに連絡をとりました。
フィンランド人の方にもあらかじめ了解をとって、交流となりました。
また、松江グッドウイルガイドの多久和さんもぜひ交流したいと合流していただき、
夕方7時から11ごろまで、楽しみました。
布野さん(赤いジャケット)は、流ちょうなフィンランド語で会話、それにみんなびっくり。
一方多久和さん(赤いワンピース)は、松江周辺の観光スポットを説明していただきました。
また手作りのお菓子や折り紙も持参していただき、お世話になりました。
外国人(日本人も含む)と交流したい人とそれをかたゑ庵が結んでいくこと、
それがお互いに楽しくて価値があることならば
もっと広げていきたいと思います。
その具体的なシステムつくりは、1年前から準備中です。
かたゑ庵に来れば、それが叶う。
こうご期待。
ウクレレと歌を披露のヘレンさん、これがまたうまい!!
そんなに大きな声でないのに部屋に反響するような、涼やかな美しい声の響きが広がりました。
布団用2枚、枕用1枚のシーツ、それぞれ楽しくセットしていきます。

※2号室3号室の女性専用ドミトリーは、空いてれば二間続きの家族用個室として予約できます。

朝食は、今回自炊。歩いてほんの3分のところに小さな商店(若松屋商店)があります。
この店は、93才のおばあさんも現役で店番をやります。
そろばんも達者。
その元気な姿に癒されます、片江に来たらぜひこの店に入ってみてください。
そこで食パンや卵や果物を買ってきて、お父さんが調理しました。

本当に楽しい家族、日本語もとてもすばらしく、会話の内容も広がりました。
今度は、またゆっくり来たいと言っていただき、友人にも紹介したいと言っていただきました。
私が宿泊予約サイトに入らず、なぜ口コミで広げたいかをお伝えしました。
オープンしてからのお客さんはまだまだわずかですが、
今までここに来ていただ方は、どれも礼儀正しく、
地域の方との触れ合いをも楽しんでいただける方々です。
居ながらにしてこんな素敵な人たちと出会える幸せ。
14名の外国人、ワークショップinかたゑ庵。それはリピーター。
観光地ではない、歓交地を目指す、かたゑ庵。
2月8日(土)ノルウエーから12名のゲストです。
昨年2月にも来ていただいた、ノルウエーの学校の先生2名が新たに10名の生徒を連れてかたゑ庵へ来てくれました。そう、かたゑ庵へのリピーターです。
前回同様、松江駅から一畑バスに乗って、美保関町のコミュニティバスを乗り継いで、来てくれました。
※こちらのホームページでは、約1時間の所要時間、松江駅からかたゑ庵へ、路線バスならではの楽しみ方を日本語と英語で紹介しています。また米子空港からかたゑ庵までの公共機関を使ったご案内もご覧になれます。
ボランティア
今回は、地元の高校生3名が外国人との交流をしたいと来てくれ、また飛び入り参加が3名(元教員、歌もギターもうまい瀬尻さん、松江市グッドウイルガイドの多久和さん。そして、40ヶ国放浪の旅経験者で、4か国語が話せる頼もしい鹿島町在住の布野さん)達が交流したいとボランティアで参加していただきました。
まずは、片江町内の路地を散策しました。
個人宅の日本庭園と再会
最初に向かったのが自宅に素敵な日本庭園を持っているところ。
事前にお話してあり、12名+ボランティアがその庭園に入らせていただきました。
ここの家は昨年民食でお世話になったところでもあり、
そこで食事をしたノルウエーの先生と、
家から出てきた家族と再会し、お互いに喜んでいました。
片江の禅寺、長寿寺
次に、町内にある禅寺訪問。
門をくぐり、本堂のモノトーンの正面の扉を開くと、それとは対照に煌びやかな装飾のな室内が現れます。オオーといいう声も。みんな興味津々、一斉に写真に収めていました。
住職もお忙しい中、対応していただきました。
今回は、行いませんでしたがここはよく外国人を連れて行って座禅をさせていただいています。
方結神社
次に、方結(片江)神社に向かい、そこで全員手を清め神社の境内に入りました。
神社横には、2台の神輿が納めてあり、外からでも見られるようにガラス戸になっていて、
そこから中を見ていただきました。
1月の祭りではこれを担いで海に入り、首までつかることを説明すると驚いていました。
相撲
そして、傍にある丸いものが相撲場とわかると、私にルールを聞いて、
そこで、早速相撲がはじまりました。
片江に住んでいた時は、ここで毎年奉納相撲に子どもが参加していました。
その時を思い出しました。

竹のワークショップ
次に、昨年好評だった、竹のワークショップを行いました。
なぜ好評だったか、昨年のブログをぜひご覧ください。ノルウエーだからこそ竹の魅力がありました。
歩いて5分程度の竹やぶ、12のノルウエー人とボランティアの方々も一緒に入りました。
とにかく竹やぶで竹を切るのがとても楽しかったようで、必要以上に切りそれをかたゑ庵まで運びました。
竹細工で、一番人気は箸。中には帆船を作って、それを海に浮かべる人も。
即興コンサート
そして、いつものように参加者のスキルを引き出して、現場合わせする、即興コンサートとなりました。
ノルウエー側からは、キーボード演奏やギターとのセッション。
キーボードは、瀬尻さんが持ってきてくれました。
地元の高校生も参加。
夕食
そして夕食は鍋料理で一緒に楽しみました。
料理はいつものように片江の料理上手のおばさんたちに協力いただいています。
そしてそのおばさんたちも一緒にコンサートを楽しんでいただきました。
今回は、かたゑ庵での交流を中心にするため、民食は行いませんでした。
夕食時、昨年地元で民食を受け入れていただいた83才のエッチャンも、再会したいとわざわざかたゑ庵まできていただきました。
かたゑ庵が理想とする、ゲストと地元を結ぶ人的交流の魅力を目指すゲストハウス。
観光地でない、歓交地の兆しが、今少し見えてきました。

マーブルテレビ放送の予定(12日(水)夕方6時)
さて、今回マーブルテレビさんが取材にきていただきました。
今回のワークショップや交流の模様は、今週水曜日、夕方6時に放送される予定のとことです。ぜひご覧ください。
予告2/3、10時~13時、サーバー停止、メンテナンスのお知らせ
かたゑ庵のサーバーのメンテナンスのために、
2月3日、10時から13時の間でアクセスができなくなります。
宿泊の申し込み等でアクセスされる方は、その時間を外してご利用ください。
よろしくお願いします。
メンテナンス作業概要
30分程度で終了する見込みです。
新年の片江墨付けトンド祭り、写真を送っていただきました。
今月12日にありました片江の墨付け神事で撮影をされました
地元のプロの撮影家、池田 淳一郎さんから送っていただきましたのでここに披露させていただきます。
池田 淳一郎さんいつもありがとうございます。
お世話になりました。
私も7年ぶりに神輿を担がせていただきました。
そして、海へドボンもしていただきました。これで今年はきっといい年になります。

阪神淡路大震災、25年前の支援活動、今に生かせるヒント。
今日で、あの阪神淡路大震災から25年。
その特別な日に、多くの皆さんにぜひお伝えしたいことがあります。
それは25年前の神戸市長田区のYMCAの支援活動、
今でもきっと生かせるであろう支援活動の当時のすばらしいノウハウをぜひお伝えしたい。
特に、こういった災害があると、多くのボランティアが被災地に出かけるものの、一方受け皿の体制が整わず、支援を断るケースをよく聞くことがあります。
これを解決する方法のひとつがこれからお話をする、私が25年前にお世話になった長田区のYMCAが行っていた支援方法。
その特徴は、一言で言うと、1日完結型のシンプルで即活用できる支援方法。
それがとてもよくできていました。
これからそれを順を追って当時の体験をお伝えします。
阪神淡路大震災後、何か私は支援活動ができないかと情報を集めていた。
どこに行けばどんな活動ができるのだろうかと。
まだインターネットも今ほどの情報量はなかった。
支援活動の受け皿としての長田区のYMCAを新聞で見つけ、
早速記事に乗っていた電話番号にかけで問い合わせを行う。
支援活動に来てもいいとの了解をもらいすぐに、
ボランティアの参加者を募る。
私が所属する国際交流のメンバーや友人に声をかけ、
ワゴン車1台で6人、食料・水やテント・寝袋を積み込んで神戸に向かった。
そのYMCA本部へは直接車で乗り付けることができず、
途中、車を置いて、神戸市内から辛うじて動いている区間限定の電車と徒歩でYMCA本部に着く。
そこにはたくさんのボランティア希望者が全国から集まっていた。
そして、受付には、初心者と経験者の二つの机があり、そこで申込書に必要事項を書く。
私たちは初心者なので、初心者の机で申込書を書いた。
すると、経験者と書かれた名札の人が来て、説明を始めた。
ここでは、今回の支援活動に参加して一日最後まで参加すれば、自動的に”経験者”として次の役割が与えられるというルールとなっていた。
その経験者は初心者に活動の説明をする役割の流れとなる。
説明に来た経験者は、自分が初心者の時に教わり実践した内容を伝えながら説明してくれた。
その内容はこうだ。
まず、初心者は、ゼッケンを受け取りそれを付ける。
そして、コピーされたゼンリンの地図を受け取る。
その地図の説明がはじまる。
地図には、長田区の家にそれぞれに印がついてあり、すでにだれかが行ったか行かないかが
わかるようになっていた。
私たちのミッションは、
その中のまだだれも訪問していない被災者の家に行って、
そこにいる被災者の状況を調べメモすることと、
そこにいる人が必要としている支援物資を聞き取り、
その情報を本部へ持って帰ること、これを午前中に行う。
そして、本部に帰ると、全国から集まった支援物資の中から、
先ほど聞き取りをした、被災者が必要とする支援物資を自分で探し、
それを午後からその被災者に届ける。
ここでのポイントは
聞き取りをした本人が被災者希望の支援物資を探すので、希望通りのものを見つけることができる、一方それがない場合でも、
用途がわかっているのでそれに近い代用品を持っていける事。
また、被災者の聞き取りの中で、家具の移動や廃材の撤去などの依頼があれば
いったん本部に帰り、必要とする道具を揃えたり、人手が足りなければ応援を頼み、午後にそれを行う。
ここでのポイントは、
午前中現場を直接見て状況がわかっているので、どれだけの人数が必要か、そこでどんな道具がいるのか
道具がなければ何か方法がないか具体的により効果的な検討ができる事。
また、このミッションは初心者の場合、経験者1名以上が午前も午後も同行し行われる。
ここでのポイントは、
経験者が同行することで、初心者でも安心して支援活動ができる事。
このYMCAの支援方法を整理すると、午前中のミッション(情報収集に徹する)と午後からのミッション(午前の情報から考えられる自分で可能な活動)が連携し、
初心者と経験者という役割分担もとてもシンプルで、いつでもだれでも一日だけの支援活動でも
可能なシステムになっていた。
私は当時この仕組みがよく考えられていると、いたく感心したことを思いだします。
またいつかはこの仕組みをどこかで生かせたらと思っていました。
ただ、この一日完結型の仕組みがすべての災害時に当てはまるとは限らないし、
25年後の今は、インターネットを使ったもっと効率的な仕組みがあるだろうとは思います。
しかしもし、インターネットが使えなかったら、この仕組みは生かせる場面があるかもしれない。
いやインターネットがつながっていたとしても生かせるとも思います。
それは、当時、ホワイトボードや付箋紙などのアナログが一番利用され活用されていたことを思いだされますから。
いつか災害があった時、多くのボランティアが集まってきたときは、この方法が使えないか、
ぜひ思い出していただいたらと思います。
ついでに、阪神淡路大震災の支援活動の当時のエピソードの一つをお伝えしたい。
最初の支援活動で長田区の家を回っていた時にそこの被災者の方がこう言った。
「外人が家の前に来て、近づいてきて怖かった」
いろいろ聞いていると何か危害を加えたわけでなく、怖い声で威嚇したわけでもないが、
ことばも通じなく、きっとパニックになったんだろうと思った。
そのことを松江に帰ってから、知り合いの留学たちに話したら、
私たちもそこに支援に行きたい、また外国人は怖くないと伝えたい、
ということになり、2回目は2台のワゴン車で行き、
留学生たちは私が行った場所へ行き、精力的に支援活動を通じ被災者たちとコミュニケーションしてくれた。
留学生にとっては、自分たちができる受け皿と活動ができたこと、そして被災者のほほえみ返しが大きな喜びとなったことは確かだ。
当時そこでの活動した時の写真はどこかになかったかなと振り返ると、
カメラは持って行っていたがカメラを向けることが憚られるそんなムードがそこには
あったことを思い出す。
支援の在り方が、当初の生活物資の被災者への敏速な供給から、時間とともに次の段階へ進み、
人のプライド尊重し、それを傷つけない支援が2回目の訪問時にはそれがボランティアに求められていた。
そのことは、YMCAで、第一番に強調され、そこに来たボランティア全員に伝えられた印象深いメッセージであった。
2日前、片江でとんど焼きがあり、そこで燃え盛る火の前で、墨になっていく竹やしめ縄をぼーっと眺めながら、震災でのあの町の同じ臭いが重なった。
あれから25年も経ったのか。
当時の教訓を何かに生かすことが私たちの務めでもあるだろう。
改めて震災によりお亡くなりなられた方々のご冥福をお祈りします。