薪ストーブで楽しむ、冬のかたゑ庵。

この薪ストーブは、ラウンジに置こうと以前から準備していましたが、

室内のレイアウトに悩んで、しばらく倉庫に眠っていました。

コロナ禍を考えたときに室内よりも、室外が換気もよく、今回ピロティに設置しました。

この薪ストーブで、どんな楽しみ方ができるか、いろいろ試していこうと

思います。

そこで、今回は、炭アートなるものを鍋料理を食べながら試してみました。

用意したのがブリキの缶と玄関先の松の松ぽっくり。
ブリキの缶は百円ショップで購入。

ブリキ缶に穴を開けます。蒸気を出す穴になります。

そこに松ぽっくりを入れます。

蓋をして、ストーブに入れます。

しばらくするとブリキの穴から蒸気がでてきます。

その蒸気がでなくなったら、すぐに出します。
しばらく、冷えるまで待ちます。

そして、中を開けると、炭になった松ぽっくりの出来上がり。

オブジェとして、楽しめます。

今後も、薪ストーブを使った楽しみ方を試しながら

ゲストの方にお伝えしたいと思います。

薪ストーブでは、火の調整がBBQコンロに比べるととても簡単です。

ストーブの空気の調整窓があり、そこを開閉しながらできます。

鍋料理やフライパン料理、など火の調整が必要なのは、このストーブでいけます。

今回は、試しにおでんを煮立て、ぐつぐつ言い始めたら、火の調整で

保温状態にできました。(おでんの写真を撮り忘れ)

そして、酒の燗も飲むペースに合わせて、調整可能。

カキもステンレスに乗せて、試しましたがこれは、BBQコンロの網での方がいいかも。

話を戻すと松ぽっくりの炭アートは、食べてる間にできました。

そして、BBQに比べると、薪ストーブは、とっても温かい。

今後も薪ストーブの楽しい利用方法を試してみます。

ぜひ、かたゑ庵に泊まってあなたも薪ストーブで、ぜひ楽しんでみてください。

BBQコンロとの併用も可能です。

ご利用については、お問い合わせください

片江消防団訓練お疲れ様そして、カウンターの板の秘密。

勤労感謝の日、片江消防団の恒例の訓練が終わると、

かたゑ庵に、ラーメン食べに来ると連絡が入る。

そして、出来上がるまで、まずは、ビールで乾杯。

そこで、話題になったのが、ラウンジのカウンターの板材。

その板材は、何か。どこから持ってきたものか。など。

その由来を知らないメンバーにだれかが質問。

そして、それが片江小学校の階段だったことがわかると、

この黄色の塗装が何かがわかり、そこから小学校時代への話へタイムスリップ。

この黄色い印は、右側通行するための真ん中の印。

この板は、2年前に片江小学校が解体工事されるときに、区長さんを通じ、解体業者にお願いをして、

4枚の階段の板をいただきました。

それを前後左右に並べて、固定してラウンジのカウンターに使いましたが、

ここにいる消防団の誰もが知っている片江小学校の思い出。

今こうして、地元の人の話題の一つになっていることに

とてもうれしく思います。

 

 

神有月・出雲国神仏霊場の巡拝の旅行者

神有月の旧暦10月今月、旅行者の宿泊の問い合わせや予約が入ってきました。

数日前には、宮城県から女性の一人旅。晴天で凪の朝。出発前にご予定を変更、急遽カヤックツアー。

旧方結神社を海側から拝む

そして今回は、和歌山からお二人の女性がご宿泊。

いつものようにラウンジでカウンター越しにお話を聞かせていただきました。

お二人とも介護に関わる仕事をしてる、20年来の友人とのこと。

筋トレ20年のお話から、一方は納棺師として、その職業の中身と経験。

そしてそれを取り巻く家族の思いなど、聞かせていただきました。

5月には、助産師の須江孝子さんが宿泊。その生命の誕生への熱い思いを聞かせていただきましたが、

今回は、その最期のステージでの納棺師としての細かい配慮とそこに立ち会う家族の思いが

私自身のその時の家族としての経験重なりそれが一緒に胸に飛び込んできました。

それぞれが、ケアマネージャーとしてのご苦労や納棺師としての経験など、

本来であれば暗くなりがちな話題も、アルコールも入って、お二人の笑顔と人柄がラウンジの空気をあったかくしていました。

5月宿泊の須江さんの人間の生に立ち会うステージと、

今回は人間として最期を迎えるステージに関わる特別な経験のお話。

そこに不思議なご縁を感じました。

「こんどは、いつここ来ようか。その時は、カヤックをしたい。子どもたち家族を連れてきたい。」

そんなことばを残して、今朝、元気に出発。

 

隠岐の島から少年野球ティーム隠岐アキレス19名宿泊

隠岐の島から19名の少年野球ティームとその保護者「隠岐アキレス」が

宿泊していただきました。

新人戦とのことで、八束町のグランドで行われます。

夕食は、地元の方に頼みかたゑ庵で作っていただきました。

今回野球ティームということもあり、健康を考えたメニューを考えていただきました。

料理をお願いした登美子さんからメニューの内容を紹介。

横にアクリルパーテーションをして、外側を向いたレイアウトでの食事。

早朝5時から朝食。

みんなが整列して、私に向かってお礼の元気な挨拶。

私も優勝を祈願してエールを送りました。

まだ夜が明けぬ時間にかたゑ庵を出発。

吉報をお待ちしています。

 

ご家族11名。ギター・ピアノ・カヤック・BBQ・星の観察

今回、かたゑ庵の本館2階4部屋貸し切り。

一泊二日を思いっきり楽しんでいただきました。

ラウンジでは、お母さんがピアノ、娘さんがギター演奏しながらの歌。
娘さんの歌声は、びっくりするほどうまい。お母さんもプロ並みの歌唱力。
娘さんの将来が楽しみです。

ラウンジの電子ピアノ

娘さん、ギタレレや12弦ギターも挑戦。

夜は、ビーチで星の観察。

朝は、定置網の水揚を見にいければと思っていましたが、日曜日はお休み。

カヤック。まるでスポットが当たったような感じ。
午後からは、ここは、順光になります。

これは先週の土・日ご利用でした。

来週は、団体20名の予約が入っています。

この日は、本館と別館すべての部屋が貸し切りとなります。

we love 山陰キャンペーンを使って、地元の方のご利用があり、喜んでいます。

特にカヤックと組み合わせがおすすめです。

12月の予約も入っています。

かたゑ庵のカヤックツアーは、外海が悪天候であっても

広い片江港を利用でき、箱メガネで海底を観察したり、海猫に近づいての観察や

舟小屋へ上陸し、海カフェやサンセットクルーズでは、乗りながらの海バーなどで楽しめ

四季折々すべてのシーズン可能です。

カヤックは、地元の方でも新たな発見がここにあります。

郷土は掘り起こせばまだまだ宝物がでてきます。

 

かたゑ庵の取材ありました。しかも2泊3日滞在しての。

かたゑ庵を取材したいと、東京と大阪から、ライター・プロデューサー・ウエッブデザイナーの3人が

来られました。

かたゑ庵の様々な取り組みを二泊三日にわたり、体験し取材していただきました。

それぞれが個性的な方で、こちらからも”取材”させていただき、

知れば知るほど、それぞれの生き生きした個性に引き込まれていきました。

こちらでの、メニューは、

宿泊当日は、いつものBBQ。

片江の漁師から持ってきてもらったサザエは、特に好評。

そして、翌日は、カヤック体験ツアー。

当日は、台風並みの時化。

片江港の高い防波堤の上を波が洗う状態。

しかし、片江港の港内は、こんな時でも、波は抑えられ、

カヤックも可能。

ドロ-ンからの撮影も。

午前中は、港内でのパドリングを中心に行いました。

通常は、タンデム(二人乗り)2台で二人のゲストを二人のガイドがそれぞれのカヤックに乗って

案内するのですが、今回は3人。

急遽、トリプル(3人乗り)カヤックを持っている森山氏からチャーターして、

それとタンデム(二人乗り)の合わせ技で、

ゲストを3人乗せて行うことができました。

今年は、カヤック体験ツアーが好評です。

そこで、トリプルカヤックを、2艇かたゑ庵で発注しています。

国の助成金の対象となるため前向き投資として行います。

納品は、来月とのことで、今回間に合わず、このようにしました。

来月からは、一度に4名の方を乗せてツアー可能になります。

そして、好評のオプションのサバイバル海カフェとなりました。

ケリーケトルで、湯を沸かし、コーヒー豆を挽いてもらい、海を見ながらの

海カフェ。

そして、夕方は、サンセットツアー。

オプションの海バーも入れて。

グリューワインを作り保温ボトルに入れ、カヤックのデッキスペースにトレイ皿をセットそこに、ソーセージとチーズのつまみを乗せ、

夕日を見ながらの乾杯。

そして夜は、カニ鍋。

最終日は、予定では、朝、定置網を見に行くスケジュールで

5時ころからみんな待っていました。

事前にその定置網に乗っている漁師に状況を連絡してもらうようにお願いしてましたので、

時化のため出港できなかったのと連絡がメールで来ました。

10時出発の前には、オーディオルームでのレコード鑑賞のリクエスト。

LPレコードのテイクファイブのドラムの音が体に響くなかで、皆さん聞き入っていました。

さて、今回の取材は何の目的で、こうなったか。

それは、その取材の成果が見られるときに、このブログでお知らせします。

どんなふうに紹介されるのか、私も楽しみです。

取材していただきました。3人の方、関係者の方お疲れさまでした。

カヤックビルダー豊島廣通氏かたゑ庵来たる!!

カヤックやってる方で、カヤック製作所、船渡夢(セントム)の豊島さんを知らない方はないと思います。
下記ホームページから引用。

16歳から造船の道に入り、今日まで小は公園の手漕ぎボートから、大はアメリカズカップ艇まで数多くの船を作って来て、その一つ一つから多くの事を学んできました。 手がける物が命を乗せる船である以上、常に譲れない一線を引いて、精進努力を惜しまないつもりです。 シーカヤックが何よりまず船であること、造船屋として先達から学んできた技にプライドをもって、これからもカヤックを作り続けて行きたいと思います。

今回新艇を納品に三重県からカヤックを乗せて納品に来ていただきました。

座席の外足に当たる部分の改良の解説からはじまりました。

当日は、代理店のガイナカヤックの森山さん、てつとさん、1300ccのバイクで来た、なじみの顔も。カヤックビルダーからのお話が直接聞けると、訪ねてこられたカヤック愛好家もありました。

ビーチで進水式。

滑るように進む新艇。

夜は、てつとさんと3人で、カニ鍋で乾杯。

カヤックの話はもちろんのことヨットも手掛けた豊島さん。

20代のころ、私もディンギーのヨット、シーホッパーで宍道湖でセーリングしていたこともあり、話題は広がって、

最後は、お得意のギター演奏と歌で最高潮。

普段私たちは、製品を買ったときに、どれだけ生産者と直接顔を合わすことができるのだろうか。

今回は、カヤックの制作者が直接納品し、その制作の苦労話など聞けました。

職人としてどれだけたくさんのこだわりを持った製品なのか。

リモートでは、きっと伝わらない、直接会わなければ、感じることができない空気間の中で、

それを聞くことができました。

そして、豊島さん、

片江のきれいなローケーションを気に入り、カヤックやもちろん、

次回は、バンド仲間も連れてくるとのこと。

折しも、到着した日は、7日。美保神社の七日えびすの日。

美保神社は、歌舞音曲の神様でもあります。

美保神社へてつとさんと米子から来たカヤック愛好家と一緒にご案内。

急遽、てつとさん電話一本、美保関支所の熊崎さんへガイドを頼み、そして居合わせた美保関観光協会の朝倉さんとも出会い、一緒に参拝。

 

またこの出会いに感謝。

自転車・50ccのバイク日本一周旅人とダンスONEプロジェクト

昨日、名古屋から来た25才の青年。
名古屋空港から飛行機に自転車を乗せて、出雲空子へ。
新幹線に自転車を乗せていくより安いとのこと。

そして、出雲空港から、かたゑ庵まで、自転車で。
このような方法もありと関心。

翌日は、朝のフェリーで隠岐の島日帰り。

その後、自転車で出雲大社から広島、しまなみ海道を通って高知の旅、そして旅は続く。

そして、その前は。

東京から50ccバイクできた法政大学3回生。
日本一周を目指しての旅。

どちらも青春真っただ中。

夜、カウンター越しに話を聞く。

どちらも旅の中で、何かを得ようと、熱い情熱が伝わってくる。

私もその前向きなエネルギーをいただいた。

 

そして今日、名古屋から来た自転車旅の青年を見送って、

何気にテレビをつけると、

ダンスoneプロジェクトという番組をやっていた。

全国の高校生がそれぞれの振り付けでダンスを披露。

多くの高校からエントリーし、すべてのダンスが約4分程度に編集され、オンエアーされていた。

ダンスoneプロジェクトとは

「新型コロナウイルスの影響で活動が制限された全国の高校ダンス部を応援するという番組人気企画。 テーマ曲、YOASOBIの「群青」にのせ、各校オリジナルダンスと“バブリーダンス”の振り付けで知られるカリスマ振付師、akaneさんが考案したダンスパートを踊った動画を投稿するというもの。 全国の245チームから応募があった。」ネットから引用。

もお、一瞬で見入ってしまった。

青春を思いっきりこのダンスにぶっつけている姿。

コロナのうっぷんを晴らすかのように。

途中から涙がでてきてしょうがない。

自分でもなぜだろうと思うほど。

生存していくための、凄まじい競争社会にあって、

今回のプロジェクトは、

このダンスに優劣をつけ、優勝を争うものではない。

そのことが、

それぞれのダンスが一体となって、一直線に同じ方向に向かって胸に響いてくる。

それが、このダンスの価値感を高め、共感されると感じた。

それは、コロナ過の中「行き場」のなかった高校生が

このダンスに「生き場」を見つけたのではないか。

そして、今回、旅の途中で、

かたゑ庵を利用していただいた青年の方々もまた、

それぞれが、旅に自分自身の新たな発見と生きていく意味を委ね、

それは、自分自身が生かされる「生き場」を探し求めているような気がした。

それは、何歳になっても同じ。

私自身も「生き場」を求め、ここで、旅人との語らいの中で、

そのこたえをずっと探し続けていくのだろう。