かたゑ庵へ次々繋がっていく、嬉しい連鎖。今回新たなフランス人へ

先日、3年前にカヤック体験ツアーに来られたフランス人のイザベルさんが

アイルランド人とブラジル人の方を連れて、

カヤック体験ツアーに撮影のため来られた話題をアップしたばかりですが。

そして昨日は、

その時のブラジル人のパティさんが今度はフランス人のグレゴリーさんをかたゑ庵へ連れて来てくれました。

グレゴリーさんは初めての来日。

かたゑ庵に来られた方が、またほかのだれかを連れて来て

またその方が同様にだれかを連れてくる。

この連鎖と広がりがとても嬉しい。

今回はお二方、一泊二日+カヤック体験ツアー、ゲストと一緒に私も楽しめました。

夜はギター交流となりました。

まず驚いたのはグレゴリーさんが持ってきたのが折り畳み分解のできるギター。

私も弾かせていただきました。少しずっしりとした重さがありますが音質はとてもよく引きやすかった。

そして、私は定番のカントリーロードを弾き一緒にみんなで合唱、グレゴリーさんも彼自身が作詞作曲したオリジナルソングも披露してくれました。

彼の本職は消防士だということですがそれ以外にもミュージシャンでもあり、多彩な方でした。

私は居ながらにして、こんな感じでゲストと今回も一緒に楽しんでいたわけです。

 

そして、今日は、カヤック体験ツアーにお連れ。

二人乗り自転車も好評。

帰る前には、しっかり時間をかけてメッセージノートにそれぞれ書いてくれました。

パティさんは、県内在住で日系であり、4か国話せるとのことで、それぞれの言語を入れて書いてくれました。

フランス人のグレゴリーさんのメッセージにも温かい気持ちが伝わってきます。

お二人とも、居心地のいいかたゑ庵、と感じていただいたようでそれがうれしい。

パティさんは、来月早速また別な友人たちを連れてきたいとも。

ありがとうございます。またどんな方を連れて来られるか楽しみです。

事程左様に

宿泊者やカヤックのリピーターやご紹介による場合も増えている実感があります。

この連鎖がまだまだ広く長く続くよう頑張っていきたいと、あらためて感じているところです。

今回フランス人のグレゴリーさんにつないでくれたパティさん、ありがとうございました。

中海・宍道湖・大山圏域の魅力動画作成に協力。カヤックの魅力をアピール。

昨日、地元放送局系列のTSKエンタープライズの撮影チームが

カヤック体験ツアーを撮影に来られました。

外国人男女2名の演者さんを連れ。

1艇は2名の外国人と私が乗り、もう1艇はカメラクルーが乗りてつとさんにそのパドルサポートをお願いしました。

天気も良く、絶好の撮影日和になりました。

ドローンも使ってダイナミックな映像が撮れたことと思います。

このプロジェクトは、

国内外のラグジュアリー層をターゲットに中海・宍道湖・大山圏域の魅力動画を製作し

発信するとのことです。

動画内容は、外国人観光客の男女がエリアを巡り「体験」「交流」するストーリー。

来年1月ごろに完成し、英語版とフランス語版を製作し

You Tube(観光局のアカウント)SNS他、各種媒体、CM、イベント等で使用されるとのこと。

とても楽しみです。

左の緑のカヤックに演者さんと私が乗り、右の赤いカヤックにディレクターとカメラマンが乗り撮影となりました。

海も凪。前列カメラマンもあの姿勢で撮っていますので、波があるときに比べ撮りやすかったのではないかと思います。

赤い方の真ん中にいるのは、フランス人のイザベルさん。

彼女は、以前松江市の国際交流員でしたが、現在はこの会社で働いていてディレクターをしています。

3年前、かたゑ庵のカヤック体験ツアーをプライベートで利用していただこともあり

今回は、今回の仕事でご利用いただきました。

終了後、演者さんや撮影スタッフと記念撮影。

演者さんはアイルランド人の男性とブラジル人の女性、二人とも笑顔を絶やさずリアクションもよく
とっても楽しいツアーとなりました。

最後にタンデム自転車も試してもらいましたがとっても楽しそうにペダルを踏んでしました。
これも利用価値は大いにありますね。

ドローンの撮影も

左のアイルランド人のアンソニーさんは、メッセージノートにお得意の絵を入れて素敵な感想を書いてくれました。

来年1月に動画が公開されましたらこのブログでも紹介したいと思います。

 

かたゑ庵のキンモクセイ満開とサツマイモの収穫

今年もまたこの時期、この香り。

そうキンモクセイの開花。

かたゑ庵の敷地内には祠(ほこら)があります。

その傍に大きなキンモクセイの樹木があります。

そこに今年もオレンジ色の花で覆われました。

少し枝を切って、玄関へ。

これから来られますゲストの方々にこの甘い香りを中でも楽しんでいただければと思います。

また今年は久しぶりに5月敷地内に芋を植えてみました。

ここには雑草が腰の高さまで伸び、まずはその下処理のための雑草抜きに時間かなりかかりましたが
ホームセンター順天堂で耕運機をレンタルし、耕すのは鍬に比べずいぶん楽でした。

そして右が先月収穫前の畑。

先日、その収穫をしました。

夏から秋を通り越して冬へと、最近季節感がなくなりつつあると言われますが、

それでも身近な場所で秋を感じることができるのもここの大きな魅力です。

タンデム自転車で巡るジオパークのプロモーション動画できました。

今回は、かたゑ庵を起点にタンデム自転車を使って

ジオパークをこんな風に楽しんだらどうだろう、てなプロモーション動画を作りましたのでご覧ください。

今回協力していただいたのは、ローラさんとまおさん。

ローラさんはアメリカ人。今年認定ジオガイドを目指していて、インバウンド対策として英語の強みもあり、

まおさんは2年前に認定ジオガイドになり、カヤックもできますのでお二方ご協力いただきました。

かたゑ庵では、ジオパーク関連といえば海のカヤックですが

今回は陸路をタンデム自転車でジオパークをいかに楽しむかをイメージして撮影・編集しました。

再生して見てみると、タンデム自転車が被写体のいいアクセントになっています。

乗ってる二人も自転車2台で走るよりも会話が弾み、それも楽しんでいました。

そして、晴れ男なのか晴れ女なのか

先週、このタンデム自転車の撮影した日が晴天の日、

さらに、本日またお二人に協力していただいてカヤックでの撮影を行いましたが今日も晴天でしかも凪。

お二人の都合のいい日で調整をしましたのにとてもラッキーでした。

参考までに、以前かたゑ庵ご宿泊の方が連泊され、自転車でジオパーク周辺をまわられた内容をブログで紹介していますので、

こちらもご覧くださいかたゑ庵を起点とした自転車の楽しみ方がおわかりになると思います。

カヤックとタンデム自転車を使えば海と陸路でもっとこのジオパークを広く楽しめます。

今後、今日のカヤックと今回のタンデム自転車を連携させた動画もインバウンド用として編集していきます。

タンデム自転車についてのお問い合わせはこちらから

 

 

 

40年を経て、同じ日同じ場所、大山山頂でのあの出来事共有。ハンググライダー物語

2カ月前の8月、隠岐の島の大人の島留学に行く20代の女性が宿泊され

いつものようにバーカウンター越しに

まずは大人の島留学についてこれからの抱負などいろいろ

おはなしを聞かせていただきました。

 

その中でご両親の話になったときに

そのおとうさんが昔ハンググライダーをしていたとの話がポンとでてきました。

私も一時期ハンググライダーをやっていたとこともあると話すと驚かれ、

いつかお父さんにもお会いできたらとお話をしていました。

そして

先日そのご両親が娘さんに会いに隠岐の島へ行かれ、

その帰りにかたゑ庵へご夫婦で今回ご宿泊いただきました。

娘さんからぜひ、と聞いて泊まりに来たとのこと。

 

ありがとうございます。愛知県から来ていただいた小池ご夫妻。

また今回もバーカウンター越しにお話を聞く中で、

自然とそのハンググライダーの話題になりました。

 

それを聞くうちに共通のキーワードがでてきます。

当時お世話になったハンググライダースクールの校長、川瀬氏の名前

当時のフライトエリアの霊石山

 

そこからさらに、驚いたのが

そのころ、大山山頂でハンググライダーでのNHKの取材撮影があったこと。

それに続いて、

そこに撮影に参加していた彼の知人のパイロットの名前がでると

その自分の記憶とその符合に驚きの声が思わずでました。

 

それは、その時、間違いなくお互い大山山頂で、同じ日同じ場所で出会っていることがわかった。

その瞬間から

昔の出来事が蘇り、お互い時間を忘れて当時の話に花が咲きました。

 

当時1985年

NHKが国連の国際青年年に合わせて全国のユニークな活動をしている若者たちを取材していた。

私が当時所属していたハンググライダーのチームにもその取材の話が来て、

大山山頂からのフライトのようすを特集でとりあげたいと。

それは、また国際青年年キャンペーンに放送でも使うと。

 

そこで、大山の山開きに合わせて行うことになり

当時島根・鳥取両県の山陰でハンググライダーしていたパイロット5名が協力することになった。

私も、その中のひとりとなった。

 

そのNHKでのハンググライダーの機体運びのポーターを募っていたことで、

それに参加していたのが今回のゲスト小池さんだったことがわかった。

 

さらに小池さんは当時鳥取大学の学生で、ハンググライダー部に入り、

大会では優勝してた優秀なパイロットということもわかった。

私が利用していた霊石山フライトエリアでも大学生がよく来ていたので

そこでも会ってただろうというはなしでも記憶を辿りながら盛り上がった。

 

40年を経てこのゲストハウスで再会するとは、思ってもみなかった。

 

もし

娘さんが隠岐の島の大人の島留学で島根に来なかったら

私がこのゲスハウスをやっていなかったら

かたゑ庵へ泊まってなかったら

娘さんがお父さんのお話をしなかったら

どれかひとつでも欠けていたら

この再会はなかったと思う。

このすべての偶然に感謝したい。

 

今後もスカイスポーツをしている方が宿泊されることがあれば、

共通の話題のきっかけになるかもと思い

久しぶりに当時のアルバムを引っ張り出してきて

今回はその時の写真を参考までに少し載せて当時の記憶を辿って、紹介させていただきます。

また、このかたゑ庵のブログでこのハンググライダーのことについて書くのは初めてですので

今回の再会をきっかけに、私の20代、青春のアーカイブのひとつとしてここに当時の記録として残しておくことにもしました。

 

1985年、大山の山開きの前日、登山口にハンググライダーをカートップに乗せて集合。

重さは30KG以上の折り畳んだ長いハンググライダーの機体を担いで登る。

私がハンググライダーをはじめた当初は、基礎練習のため鳥取砂丘の馬の背の頂まで、
ひとりで担いで登ったがとてもきつかったことを思い出す。

現在はハンググライダーは馬の背では使えないようだ。砂丘の別な場所で行っているとのこと。

この長い機体5人分5本を何人か交代で山頂まで運ぶ、カメラマンがそれを撮影しながら登るので
通常の2倍の時間が登頂までかかった。
パラグライダーがまだ普及していない時代であったので
今ではハンググライダーでこんな面倒なことする人はまずいないでしょう。

山頂の山小屋で夕食をして一夜をすごす。以前の山小屋を知る方は懐かしい室内の様子だろう。

翌朝、山頂での機体の組み立てがはじまる

大山の山開き山頂祭の神事にパイロットやポーター・NHK関係者も参加する。

この時のNHKのリポーターが右の鉢巻の人。それが当時、NHK米子支局のアナウンサー道谷眞平さん。
この方は、のちにシドニーオリンピックの柔道の篠原vsドゥイエなど様々な大会の実況中継をはじめ、
スポーツ実況で定評のあるアナウンサーとなられます。


同行されたカメラマンと音声クルーも過酷な撮影だったと思う。

まず3機が無難にテイクオフ。そして、私のフライトの順番がまわってきた。
山開きのために登ってきた登山客の多くの視線を浴びながら風を待つ。
この時、今回かたゑ庵にご宿泊された小池さんはこのフライトの瞬間を40年前に見ている。

昔のハーネスは、今とは違い体がむき出し。そのため現在のものより風の抵抗もかなり大きかったと思う。
緊急補助パラシュート(手元の黒い四角い部分に格納)は当時でも必須。
現在も持っているがリパックしてないので、もうまく開かないだろうし使うこともない。
バリオメーター(昇降計)は当時高額で、私はつけていなかった。
これがあるとサーマルをうまく生かせるのだが。

下界を見ると最初少し雲がかかっていたが視界が良くなってきた。
ここから飛び出して岸本町方面に向かう。そこは農家から借りた休耕田の場所にタイヤを燃やして狼煙(のろし)にした目標へ。
5名のパイロットは全員そこへ向かう。
着陸の様子を映すためカメラマンがそこで待機する。そのほか同行するカメラマンやヘリコプターから空撮のカメラマンなど
当時としては大掛かりな撮影チームだったのだと思う。

向かい風が左右の頬をなでる。顔を左右に少し振り、真正面からの風を左右の耳から感じるこの感触を思い出す。
スタンバイOK。後ろで心配そうに見ているのが道谷アナウンサー。

そしてテイクオフ。すぐにアップライト(上の写真の状態)から体を前に倒して水平になり下のコントロールバーを掴み、同時にフットバーに足をかける。

体はナイロンベルトのスイングラインとカラビナの一点で機体にぶら下がっている。
左右の体重移動とコントロールバーの押し引きで操縦する。
下の写真は、右に体重を移動して右に旋回している状態。

テイクオフ地点から少し上昇し、着陸ポイントを目指す。

風を切る音がからだを包む。

NHKが広島からチャーターしたヘリコプターからの空撮もはじまっており、フライト中パタパタとヘリの音が間近に聞こえた。

そしてNHK放送時のタイトルは、『爽快・大空へ挑む』となった。
この番組では、同時に大山の一木一石運動も取り上げ、50分の特集となる。
その後、この番組を数分に再編集され、国際青年年のテーマ曲佐野元春 – Young Bloodsが流れ
そこに大山頂上を目指し、このフライトに至るシーンが朝ドラの後にしばらくの期間、連続して放送された。

そもそも

私がハンググライダーをするようになったのは、

それ以前に、

元々はスキーが一番好きで、言うまでもなく『私をスキーに連れって』世代。

当時は毎年、スキーシーズンは近くの大山はもとより

年末年始の休日にスキーツアーの夜行バス(当時の山陰中央トラベル、担当Fさんにお世話になってた)に乗って、

長野県の野沢の麹屋さん宿泊でスキー三昧で毎日過ごした。

もっとうまくなりたいと、野沢の富井スキースクールでも鍛えていただいた。

腕試しに地元でのスキー検定のテクニカルプライズに一度挑戦したことがあったが、受からなかった、

そんなことまでも思いだした。

 

スキーシーズンが終わっても5月の連休はスキーを担いで列車に乗って雪のある立山や尾瀬の至仏山などでも登って滑っていたが

それ以降のオフシーズンにできるものを探していた。

中でも特に人力だけで、できるものに魅力を感じていた。

なので当時、ディンギーのヨット・ウインドサーフィンン等のマリンスポーツも宍道湖で始める中、

プロのスキーヤー只野直孝氏もその当時ハンググライダーをはじめていたこともあり、そこからスカイスポーツにも挑戦するようになる。

後に、大田の三瓶山でスカイスポーツフェスティバルがあり、ボランティアスタッフとして関わりながら、デモ飛行された只野直孝氏にもその時お会いすることになる。

 

さて今回長くなりましたが


スカイスポーツをやっている方、やっていた方。

のみならず、

何かに一生懸命取り組んでる方

これから取り組もうと思っている方

何かおもしろいことやってる方

やろうとしている方

とくになんにも考えていない方も

かたゑ庵のバーカウンターで

今度はあなたのお話をぜひ聞かせてください。

お待ちしています。

 

松江→大阪、一畑バス外国人割引料金2000円、イタリア人5泊。そしてゲスト間交流。

かたゑ庵に宿泊されたイタリア人青年。

帰る前に買った松江→大阪のバスチケットを見せてくれ、それが

なんと2000円。外国人割引が適用となっていました。

私も知らなかったのですが、松江に来られるのも使えると思いますので外国人は、

この情報も今後伝えようと思います。

さて、このイタリア人の方は、結局2泊から5泊に延長して、

周辺の観光だけでなく、

その間かたゑ庵のゲストや地元の人との交流がなされました。

隠岐の島から練習試合に来たテニス部の高校生も。

イタリア人の演奏に聞き入ってました。
本来はアコーデオン奏者ですが、足踏みオルガンで演奏していただきました。

ホワイトボードを使った国際交流。

イタリアの地元の紹介をタブレットで。

また地元の方が中学生時代の同窓会に利用していただいて、そこでも交流がなされました。

恩師を囲んでの同窓会に思いがけないゲストの交流がありました。

かたゑ庵のBBQも大盛り上がり

いつもの地元のメンバーもかたゑ庵前の暗闇で車のライを浴びながら。

また移住相談の女性おひとりが兵庫県から来られ、

2泊の予定を延長して3泊されました。

しまね定住財団のスタッフの方にも来ていただいて、ご協力いただきました。

片江の海に潜って動画の撮影したり、周辺を散策。積極的に地域を体感されていましたが

これもこのイタリア人の彼がいたおかげで、より楽しかったようです。

このイタリア人はプロのアコーデオン奏者とのことで、

大阪万博にその演奏のために来られたということです。

彼の地元で演奏している動画を紹介してもらいましたので、これをご覧ください。

地元の伝統的な曲をアレンジしているとのことでした。

万博でもこのように20人くらいの演奏者と一緒にメインステージで演奏したとのことです。

私は、大阪万博には行けませんでしたが、彼のおかげで少しだけ万博へ行った気になった、かな。

彼が書いてくれたメッセージノートには、感謝の気持ちと5泊では足りなかったと書かれていました。

こちらこそ感謝です。

 

万博での演奏者としてイタリアから来日、かたゑ庵で5泊とマイクロツーリズム

最初の予約は、2泊、そして延長してトータル5泊されました、ゲストはイタリア人。

今回は、大阪万博にアコーデオンの演奏者として来日。

その仕事を終えて、ピンポイントでかたゑ庵へ。

どこからお話をしようかと思うほどのこの連休を挟んだ6日間でした。

彼は、イタリアのプーリア州このあたりから来ました。

かたゑ庵までローカルバスで来ましたが、ホームページの英文でバス路線について

詳しく説明していますので、今まで外国人の方は迷わす来ていて今回もそうです。

まずは、歩いて行ける片江町内の観光です。

かたゑ庵から歩いて6分の方結神社で参拝。ここは墨付け祭りで有名です。

神輿も外国人にとって、魅力のひとつ。
常設してあるので、いつでも見られます。

小さな神社ですが、立派な本殿です。

そしてそこから1分の禅寺、

一歩中に入ると豪華な飾りつけに皆驚かれます。
住職にお願いすれば座禅もさせていただけます。要予約(かたゑ庵がお取次ぎします、無料)

なんといっても歩いて1分のビーチの透明度は抜群。

歩いて5分の定置網は、見学しても直接買うこともできる早朝の観光スポットとしても人気があります。

連日自転車で、島根半島から境港、松江市内へ、一日に40km走行の日も。

今まで観光地として見られてなかったこの片江漁村ですが
外国人にとって、ここにある身近なお寺や神社は魅力ある観光資源のひとつです。

さらに

かたゑ庵を起点にすると効率のいい観光ができます。
地図に見える化するとよくわかります。
外国人の方もそのメリットがだんだん伝わっていっています。
今回のイタリア人もそう、これこそがマイクロツーリズムを活かした観光です。
それが2泊の予定が5泊の連泊になったひとつの理由です。

さて、今回はアコーデオン奏者ということでしたがあいにくかたゑ庵には

アコーデオンは置いていません。

しかし、以前ドイツから来た方がアコーデオン奏者でしたが、

足踏みオルガンでも弾けたので、今回も

それでお願いしましたらいい演奏をしていただけました。

しかもこの連休に宿泊されました女子高校生テニス部の方々や

当日、同窓会をされた方々。

また移住相談で他府県から来られた女性。

全員

その演奏を聴くことができました。

そして

ゲスハウスならではの交流がなされました。

それは次のブログでお伝えします。

 

 

朝ドラ、『ばけばけ』と文化情報誌『湖都松江』50号発売開始!

先日の9月30日、松江の文化情報誌『湖都松江』50号がこの編集長である高橋一清様から届きました。

ふりかえれば、今年の2月、高橋一清様から取材依頼の丁寧な手書きの手紙が届き、

続いて3月、編集部の福頼様の対面による取材。

そこから約七カ月。

待ちに待った郷土の文化情報誌『湖都松江』50号が発売されました。

郵便ポストから取り出し、早速、封筒を開けると、丁寧なお礼状と一緒に『湖都松江』50号が入っていました。

手に取ってまず表紙を見ると

特集『松江の観光 いま そしてこれから』

となっています。

その表紙を開くと

そのテーマに沿った方々の取材先の目次。

しかもそこには松江を代表する老舗の旅館やホテルの経営者など

知名度の高い方々がまず目に入り。

その中で、ほんの6年前にはじめた、小さなゲスハウスかたゑ庵が

それらと肩を並べて

『漁村を”歓交地に”交流拠点拠点 かたゑ庵 青戸裕司』の見出し。

 

恐悦至極でございます。

 

そして、奇しくも

これが届いた9月30日は、朝ドラの「ばけばけ」の放送開始の日。

このタイミングでのこの50号の記事に載ったことは、とてもラッキーと言えます。

というのも

このドラマの影響で、きっと松江をもっと知りたいと思う方が今後増えることは間違いありません。

その中でこの「湖都松江」の読者も広がる可能性がおおいにあると思うからです。

 

今回の50号記事、一気に全ページを読んでみましたがどれもこれも

松江を様々な人物や視点から広く深堀する記事で、私にとっては新たな発見の連続。

特に、今回の記事の中で私が注目したのは、

古浦義己氏の記事、『松江国際文化観光都市 秘話』

なぜ松江市が国際文化都市に認定されたのか。

それはラフカディオハーンの存在なしには語れない記事で、

もっと多くのひとに知ってほしい内容です。

この記事で松江市が「文化国際観光都市」にどのようにしてなされたのか私自身、

その背景を史実としてさらに知ることができました。

 

一方、ネットを通じて、世はセンセーショナルな記事や憶測での不確かな情報に溢れています。

今こそ、今回取材を受けたように対面で一次情報として、

事実確認と時間をかけ、推敲をなんども重ねた書籍こそ、信頼できる情報源として残していくことが益々大事だと思っています。

その意味でとりわけ『湖都松江』の存在とその役割は大きいことは、私が言うまでもなく多くの読者が感じていることと思います。

松江の文化を出版を通し牽引していく格調高い文化情報誌『湖都松江』に取り上げていただきましたことは

私にとって、今後の活動を後押しする励みとなります。

今回、編集長の高橋一清様はじめ、直接取材していただいた福頼様、そして編集に関わられました方々に

心より感謝申し上げます。