7月24日(本日)NHKでかたゑ庵が放送されます。

今年の4月より、密着取材をしていただき、

いよいよ放送日が決まりました。

最初25日予定でしたが変更になり

7月24日(水)18時10分

NHK総合 しまねっと、で放送されます。

今までの収録時間は9時間と聞いています。

それがわずかな時間に編集されます。

先ほども、NHKから問い合わせがあり、編集の真っ最中とのこと。

昨日は、これより先に

ケーブルテレビでかたゑ庵紹介されました。

かなり疲れ切った表情でしたので、

今日のNHKではどんな表情か

心配してるとろです。

 

さて、

かたゑ庵は500㎡近くもある古い元民宿、

7年前、この建物は、もはや獣の住みかとなって、土足でないと歩けない、

お化け屋敷のような状態をコツコツ時間をかけ綺麗にしてきました。

最近は建物の痛みも早くなってきて、

このまま何もしなければ、

資産ではなく、大きな負債になるところでした。

確認申請書なしのこの物件は

図面を一級建築技師に頼むところから始まり

地元の大工さん工務店・水道関連・また火災報知器の設置。

1年以上の期間を経てここにきました。

保健所・建築課・消防署の現地確認も終え、

先週、保健所の許可書をいただきました。

これまでの地元の人とのご支援や協力、

また、インターネット上の募金システム

クラウドファンディングでの

たくさんの方のご支援で

今かたゑ庵として蘇生しました。

また以前からかたゑ庵敷地内にありました、祠や建物内の神棚も

地元の宮司にお願いし、

この地の神々に祈りを捧げ

この漁村の信心深い人々との共生と繁栄を願いました。

これから片江の漁村を生かしたゲストハウスかたゑ庵として

もっと楽しい漁村になりますよう

その役割を果たしていきたいと思います。

UG

 

 

 

 

 

 

かたゑ庵の改築工事も無事終了!!

かたゑ庵の改築工事も無事終了し、
昨日、保健所・建築課・消防署の現地確認が行われました。
来週宿泊業の許可がおります。
ここ一週間は、リポートの更新もできないほど、
慌しい日々を送っていました。
また、地元片江の大工さんたちもこの現地確認まで、
全力でがんばっていただきました。

最後は2人体制から他からの応援も入れ4人体制。

納期をきっちり守っていただきました。

プロはさすがです。

その夜、今回建築資材をお願いした片江のナマさんは
深夜1時まで、各種最後の取り付け確認作業に蒸し暑い中蚊にさされながら、
その翌日も、ぎりぎりまで廃材の撤去にも協力いただき、
万全の体制で迎えることができました。

ナさんお疲れ様でした。

当日は

火災報知機及び敗戦工事をお願いしました和光電通さんが

消防署の立会い。

そして松江市建築課の立会いは、図面を一から引いていただきました

真建築設計事務所さん。

松江保健所は私が対応。

 

様々な方々のお力でここまできました。
感慨無量です。
心よりお礼申し上げます。

 

今後は、まだまだ準備が必要です。

プレオープンをしながら、徐々にグランドオープンへ向けていきます。

いつから宿泊できるのか、料金などまだ決めていません。

でももうすぐです。

今後決まり次第お伝えします。

今後ともよろしくお願いします。

 

 

 

 

今朝の片江の大敷(定置網)大漁でした。かたゑ庵目の前。

久しぶりに早く起きて片江の大敷(定置網)を見に行きました。

今日は大漁で、仕分け作業に駆り出されたという地元の方にも会いました。

この仕分け作業も魚の種類をわかっていないと、できません。例えばマアジとマルアジ。同じアジなのですが味が違います。マアジがおいしく値段もマルアジより値段は高いのです。

ここでも水揚げされた魚は、すぐ仕分けされ箱詰めにされ境港でセリにかけられます。

さて、ここで仕分けされた魚は、いったん種類ごとに箱に分けられます。

わけられた魚は今度は、発泡スチロールの箱に詰められるのですが、

それまでの間に、魚を選んで買うことができます。

 

はい、このビニール袋を持った方にご注目ください。

箱から魚を選んでいます。

そして魚の種類ごとはかりで測ってもらって支払います。

日曜日や祝日以外は、毎朝この風景が見られます。

以前私の友人を朝早く来てもらって、ここで魚を買って、すぐに片江の家で捌いて、事前に用意してたすし飯を握って、握り寿司にして食べました。

ここではこんな楽しみ方もありますよ。

UG

消防署へ各種書類提出。宿泊者の命を守ることに使われる支援金。

先日、消防管理者甲、二日間受講し、管理者となり、昨日それを持参し、ご指導いただきながら、各種書類を提出することができました。

消防管理者受講し、各種書類を提出し、多くの命を預かってる認識を新たにしました。

かたゑ庵は元々民宿だった物件なので、当時の建築確認証があれば、改築工事することもなく、そのままゲストハウスとして、使えたわけです。

 

しかし、現在、多くの筋交いの補強と耐火石膏ボードでしっかり守られた宿泊室を見ながら、もし以前のままで営業し、火事になったら、天井はあっという間に燃え、一気に隣の部屋へ移り、多くの犠牲者をだすことになったのではと、改めて思いました。

今回の改築工事のほとんどが、その安全を高めるためのものでした。

 

2階廊下の片側側面の壁はそこだけ、石膏ボードをむき出しにしてます。

そこは化粧ボードやクロス張りをしていません。

しばらくそのままにしておこうと思います。

コストの面とこの無機質な黄色っぽい壁を、ゲストの方と一緒に芸術的な壁にならないかと。

書道家が泊まっていただければ、一筆お願いするとか。

この壁に新たな役割を与えたい。

 

今度宿泊されるかたは、まだ工事中だと思わないでください。

その壁のコストをケチったことは、認めましょう。

でもかたゑ庵は、以前より安全な建物になったことは間違いありません。

あとは、避難訓練や法廷点検、消防管理者講習で学んだことやってまいります。

 

そして、

今回のクラファンでのご支援金が、宿泊者の命を守るために使われます。

 

UG

 

 

 

大工さんの家にある、虎の絵、またいいことみーつけた。

その話を聞いて、

ぜひ見せていただこうと思っている。

毎日来ていただいている、片江の大工さんのお父さんの絵の話。

 

絵がうまかった。

特に虎の絵が。

 

お寺に寄進した。

結構たくさんん寺に。

 

怒った顔の虎の絵

迫力あった。

 

その怒った絵を描くために

やったのが

 

猫を連れてきて

わざと怒らせた

 

その表情を使ったとのこと

 

 

畳一畳の大きさ

買わせてほしいと頼まれたこともあるという

それもかなりの大金だったという

 

その無名の芸術家に

興味が沸いてきた。

 

大工になったのも

その父の器用さも関係あるのではと

休憩時間での話し。

 

またひとつ

楽しみが増えた。

 

UG

 

 

 

かたゑ庵へ駐在所おまわりさん訪問、そして、お願いしたこと。

ひょっこり、美保関管轄の駐在所のおまわりさんがかたゑ庵に来られました。

かたゑ庵について、新聞で見て来ましたとの事。

しばらく、かたゑ庵のこれからのことをターゲットから戦力までお話をしました。

 

そして、最後にこちらからお願いをしました。

 

「以前、境港の鬼太郎ロードに子どもたちを連れて行ったときに、駐在所のおまわりさんが、子どもたちと一緒に写真に入ってくれて、とてもいい記念になったんです。

巡回中にかたゑ庵へ来られれた時に、もしゲストから一緒に撮りたいといったときに、一緒に写っていただけますか」

 

おまわりさん:「いいですよ」

 

「ありがとうございます。きっと思い出になると思います。特に外国人は」

 

といった事になり、かたゑ庵物語の登場人物が、一人増えました。

 

ありがとうございます。

 

では、

 

 

かたゑ庵の改築工事もあとわずか。

改築工事は、新築と違って、工事の途中で、大工さんを悩ますことがたびたびでてきます。

しかし、最後には、きちんときれいにできてるからいつも感心します。

その工事の終わりのめどもついてきました。

昨日で、火災警報装置・誘導灯・非常用証明工事も残りわずかとなりました。

これに伴い、先日取得しました消防管理者として、来週は消防署で、各種提出書類意の準備を始めます。

すべての工事が来週中には、終えることができればと思います。

その後、行政への各種申請の提出となり、それが認められれば、営業可能となります。

ゴールは近づいています。

営業許可がでても、しばらくは、プレオープンとして、特別な条件で行うことになります。

特に宿泊料金は、様々なデーターと部屋が完成して、客観的な感想をもとに決めたいと思っています。

なお、クラファンのリターンで宿泊を選ばれた方は、最優先で行います。

 

かたゑ庵、もう少しです。

今しばらくお待ちください。

 

UG

 

 

 

夢のような60日+アディショナルタイム。事実は小説よりも、

クラファンの挑戦が2時間ほど前に、終わりました。

目標を皆さんのおかげで達成でき、あらためてお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

この60+1日間の出来事は、リポートでもお伝えしましたように、地元をはじめ各方面からボランティアとして来ていただいたり、片江の皆さんがかたゑ庵をどれだけ応援してくださっているかや、さらにはこのクラファンでの成功の影で、働きかけを一心不乱にやっていただいた方々のこと、一方で私の至らなさから地元の住民の方からの苦情をお受けすることもあったり、思い出せば、ひとつひとつが大事なひとコマひとコマでした。

もし、クラファンを挑戦せずにゲストハウスかたゑ庵をオープンしてたらどうだったでしょうか。

最終アクセス数5,068PV、2,788UU、

いいね1,167

最終金額688,000円

そして支援していただいた54人の皆さん

もし挑戦してなかったら、この数字がなかったことになり、どうなっていたかは、その数字が見事に語ってくれています。

 

以前、読んだ本の話しです。

小説を書くための、ポイントをおしえてくれた本がありました。

タイトルもその本自体もどこへやったかわからなくなりましたが、

おぼえているのが、

小説を書くときに、そのストーリや結末を考えるのではなく、

まず、個性的な登場人物を設定し、その背景やらロケーションを決める。

そして、ここから生まれる展開をドラマとして創造していく、そんな内容。

これを今回のかたゑ庵プロジェクトに当てはめますと、

今回は読んだ本のように、私は小説を書く時と同じように片江というロケーションを設定し、

そこにいる人たちが登場人物であって、そこからおこる様々な出来事(予期しない)を主人公としてあてはめてきました。

振り返れば今回、予期せぬアクシデントほど小説になる、と思いました。

それはたいへんではありましたが。

 

この2ヶ月間、様々な形で、それは現れ、

その物語は事実として、リポートの中でお伝えしました。

そしてこのクラファンの最後には奇しくもアディショナルタイムとして、

みごとに物語の最後に予想外の展開をつくりだしてくれました。

さらに、本日もまた新たな支援と応援メッセージが入ってきました。

支援者のどれもそれぞれが、思いをこめていただいたメッセージです。

皆さんのメッセージの軽重は、ありません。

 

その中で、今日のメッセージのひとつには、

特別な思いがあるものがあります。

それについて、

その応援メッセージに対する

お返しのメッセージを、

言葉にして書いて、それに思いをゆだねようとするのですが、

ことばにすればするほど

チープなメッセージになってしまいます。

もう何度も書き直してますが、

ここは小説のように書けません。

小説のようになるから書けないのかもしれません。

 

今回の奇跡の内容の応援メッセージは

事実をありのままで受け取り、

静かに見守っていきたいと思います。

今は、ことばにできないこと。

それは、きっとわかっていただけると思います。

 

最後に

クラファンのスタート時に作ったタペストリーに

かたゑ庵の右隣に書いてあった「ナラティブハウス」に気がつかれた方

いませんか。

なぜゲストハウスでなく、

「ナラティブハウス」なのか。

 

それは、かたゑ庵はただのゲストハウスではなく

あなたの物語を生かす場。

 

ナラティブとは「物語」です。

 

 

 

60+1 日間

ありがとうございました。

 

では、

おやすみなさい。

UG