本日のTAKAさんの応援メッセージとこれからの片江

faavoより応援コメント

TAKA
2019.06.17
初めましてUGさん、まだお会いできてませんが、同じく美保関のファンを作りたいと思っている者です。片江の海はよく息子が泳ぎに行ってました。素晴らしい海です。世界への発信を期待、応援しています。お祭りやイベントではなく、しっかりと根を張る後世に引き継げる拠点とモデルを僭越ながら共に知恵と智慧を絞って作って行きましょう!

本日ご支援いただいたTAKAさんの応援メッセージから、かたゑ庵プロジェクトの目指すミッションをあの文章の中で簡潔に表現していただき、ご理解いただいていることに感謝申し上げます。

特に

「お祭りやイベントではなく、しっかりと根を張る後世に引き継げる拠点とモデルを僭越ながら共に知恵と智慧を絞って作って行きましょう」

このTAKAさんのメッセージがかたゑ庵のミッションと重なります。

徳島県の上勝町で、葉っぱビジネスで有名な横石氏が松江に来られた時に、パーティーでの席で一緒に歓談させていただいたことがあります。

「地域を何とかしたい」と

 だれもがやったことない事を成し遂げるための努力を人一倍やってきた方です。

住民の反対と疑心暗鬼。

彼は地元の出身ではありません。ですからよそ者扱いでした。

そこがまたよかったとも言っています。

詳しくは書籍に譲り。

片江では、将来のために今までの10年間に何をやってきて、そして今後の10年間も同じ繰り返しをしていくのか。

喫緊の課題は減り続ける住民。

十年前が700人、今500人。約。

移住者を増やしたいのか、そうでないのか。

増やしたいのであれば、どんな対策やオプションを用意するのか。

移住者が懸念・心配することは何なのか。

それをわかっているのか。

知ろうとしているのか。

移住したくなるようなおもしろい片江にするにはどうすればいいのか。

今、民食に目が行っていますが、それはひとつの手段にすぎません。

新たな事に果敢に挑戦する地域は、生き生きしています。

 生き生きしているところには、また生き生きした人が集まってきます。

皆で、ドラム缶風呂を作てみる、竹ドームを作る、そして地元の人がそれを十分楽しむ。こんなことでさえ。

えっ、みんなでそんなことして楽しんでるの。片江って、なにかわくわくするところ、住んでたらなんか楽しい事みんなでできそう。そんなところで子育てしたいよねって。

そこをゴールにできれば。

TAKAさん、片江には前向きな、熱い方がいます。

だから希望があるんです。

 

キッチンは、いちばん遠い旅の目的地

「キッチンは、いちばん遠い旅の目的地」

昨日、歯医者に行って待合室にいましたらこの本のキャッチコピーに目が行きました。

なぜでしょう。

とりあえずこの本の内容には触れませんが。

このキャッチコピーで浮かんだもの。

それは

かたゑ庵プロジェクトの「民食」。

私たちは普通の旅では、一般家庭のキッチンに出会うことはほとんどないと思います。

この本の表現でいえば、一般家庭のキッチンは、旅行者にとってまさに遠い存在と言えます。

遠い存在を言い換えれば

すぐに手に入らない魅力あるもの

 

で、

あり。

民食は、

旅人にとって

憧れのテーマなのでは、ないか。

それはきっと潜在需要として、ある。

と、このキャッチコピーが教えてくれたような気がします。

結局この本の中身を読む前に順番がきました。

まだ入れ歯は入れてません。

が。

ではまた。

改めて新聞に載ったコト、驚くほどアクセス増え、支援もあり。感謝です。

昨日からメールや電話が次々入り、あらためて新聞の力を感じました。

この機会に日ごろから感じてる新聞とSNSに関連する内容を少し書いてみます。

タイトル:山陰中央新報と、プッシュ情報とプル情報。

かつてネットがない時代、マスに向けて情報発信は、新聞やテレビの媒体が中心でした。
言うまでもなく、
個人がマスに向けてアピールできる手段は、社会的に大きな実績を生むか、大きな犯罪を犯すか、ではなかったかと思います。
ざっくりですが。
今は、個人がインターネットを通じて、だれでもマスに向けて発信できる時代になりました。

その個人のメッセージがSNSの拡散によって、広く世間に伝わることはあらためて言うまでもありません。

そこで、今回の山陰中央新報で、取り上げられたかたゑ庵の記事とSNSでの拡散を比較しながら、
感じてることを書いてみます。

SNSを通じて、世界中に発信され、それが破壊的と呼びたくなるほどの深刻な影響をもたらしたのが、イスラミックステイトによる、
虐殺映像とメッセージです。

決してそれまでの世界では、新聞やテレビがその残忍なシーンやメッセージをナマで伝えることは決してなかったのですが、
SNSは、それを許して、しまいました。

そして、そこまでは行きませんが、SNSが拡散される大きな要素のひとつは、刺激的なメッセージで気を引く、センセーショナリズムではないかと思っています。

ここで昨日山陰中央新報がかたゑ庵の記事を取り上げたプロセスを振り返ってみます。

まず、私が紙媒体のチラシを配りました。
その中の公民館の館長のひとりがその内容に共感し
山陰中央新報の記者に伝えます。

そして、その記者から取材の申し込みがあって、
取材を受け、
昨日記事になりました。

5月21日に取材を受け、6月12日に記事になりました。
実は私はこの記事はボツになったのではないかと思っていました。

しかし、昨日
一面の見出しに画像入りで、紹介、そこだけでもかなりのスペースをとり、
そして本文のページを開いてみると驚くほど大きなスペースに記事が書かれていました。

このことは、今行っているかたゑ庵プロジェクトが、この新聞社のフィルターに引っかかって、

ジャーナリズムとして、広く伝えたい記事にしていただいたのものと解釈しました。

このプロセスのポイントは、

かたゑ庵の取り組みが山陰中央新報に行くまでプル型で、行われたことです。

私の仮説として、

これからの時代は、プッシュ型からプル型へいくのではないかと思っています。

つまり、タイムラインで一方的に流れていく、情報から目に留まってもらうためには
現在センセーショナルなコンテンツがてっとりばやい。
しかし、それは偏った情報の選択になりかねない。

一方、じっくりコンテンツを評価し、記事として取り上げた山陰中央新報のジャーナリズムとしてのコンテンツがあらためて評価される時代がくると思います。

あまりにも真贋わからぬ情報が一方的に入ってくる時代。

そんな時代だからこそ、世の中に伝えたいコンテンツを一次情報としてプルで拾い出す。

それを取捨選択吟味。

限られた紙面確保の攻防に勝ち上がり、「事実」をもとに判りやすく記事にされる。

だからこそ記事としてなることがシンボリックな意味をもつと思います。

つまり要約すると、

これからも新聞が大事な役割をすることになり、そこに記事として載ることの意味は大きい。

そしてなによりそれらにプルされるような事実をだれもが築きあげること。

ということです。

改めて、山陰中央新報さん、記事にしてくださってありがとうございます。

山陰中央新報の今朝の記事をご覧になってアクセスされました方へ

本日の朝刊を
http://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1560302768434/index.html

ご覧いただき、またこちらへアクセスありがとうございました。

クラウドファンディングについて、すこしここで解説をさせていただきます。

ひとことで言えば、資金をインターネット上で集める仕組みです。

では寄付金を募るのかといえば、日本の法律では、認定NPO、自治体、学校など、公益的な活動のみ行えます。

今回のようにそれ以外のケースは、購入型と呼ばれる形態で行うことができます。

それは、モノやサービス、体験や権利などの「リターン」を販売することができます。
個人、企業、任意団体など、実行主体は多岐に渡ります。

支援者は、支援した見返りとして様々なリターンを受け取れます。

リターンに直接対価性がない場合でも、実行者の共感やつながり、そして支援体験が得られます。

かたゑ庵プロジェクトで、今回3000円コースから10万円コースまでありますが、

例えば3000円コースのリターンは、お礼のメールです。

これそのものに対価性はありませんが、このコースを購入することでこのプロジェクトを共感していただき応援していくことになります。

3000円コースも500円単位で追加も可能です。

それぞれのコースは、できるだけユニークな組み合わせを考えて作っています。

サザエの直送なども直接受け取れるリターンもありますのでご覧ください。

全国のクラウドファンディングでは、だれがそれを買うの、と思うものでも、売れています。常識にとらわれず、その”購入品”を買うことで支援者の心意気を感じますし、そのプロジェクトの魅力も伝わってきます。

全国のクラウドファンディングにどんなコースがあるのか一度ぜひ見ていただければと思います。

そしてクラウドファンディングは二つの選択があります。

一つ目は、「目標達成しなければ、本プロジェクトは不成立!」というAll or Nothing(オールオアナッシング)。

もう一つは、「一件でも支援があればプロジェクトは実施」というAll in(オールイン)というタイプです。

かたゑ庵プロジェクトの場合は、All or Nothing(オールオアナッシング)、目標額に達しなかった場合は、プロジェクト不成立となり、集まったお金も支援者へ返されます。

このプロジェクトも6月25日までで終了です。

どうか皆さん、このプロジェクトへのご支援お待ちしています。

足立美術館に来る外国人をかたゑ庵へ

島根県にあり松江市からも近い足立美術館は父が好きで、生前たまに何度か連れて行ったのですが、そこには多くの外国人の姿がありました。

偶然なのかいつもフランス人の方が目につきました。

このヨーロッパからわざわざ日本の美を求めて来てる外国人をターゲットにできないか。

考えています。

足立美術館のすばらしい日本庭園、それを見た外国人に、”人間の手を一切加えない日本海庭園”それも見てみないか、少し足を延ばせばあるよ。

そして、一般家庭で食事もでき、ヨーロッパにはない竹、のワークショップだってできるんだ。そんなメッセージをHPで。

2月に来たノルウエーの方が民食とワークショップ、どれだけ喜んだか。

今後、英文の他フランス語でそんな紹介で誘いたい。

先般地元にいるギニア人の友人にゲストハウスの話をした。

彼はフランス語圏。

今度、彼にお世話になると思う。

かたゑ庵ホームページ、宿泊予約システム、決済システムその方の改築工事も忙しくなってきた。

以下ルート紹介作成途中。

Approx. 29-minute bus ride from Matsue Station to Katae (recommended views around the lake by the right from Matsue station) bus timetable and attractions

katae⇔ Adachi Museum car about 53 minutes bus no direct access to the Adachi Museum, so bus via Matsue station, by train from Yasugi station, Yasugi station From the Adachi Museum free shuttle 30minutes)(every

かたゑ庵近くのホタルのスポット、海と山と川の魅力

んん。

これでは、ホタルかどうか、あまりわからないでしょう。

夜の撮影はほんとに難しいですね。

そろそろホタルが見られるか、昨日ですが、いつもの場所へ行ってみました。

かたゑ庵から車でほんの2~3分ところです。

桜でいえば、まだちらほら咲き。

あと1~2週間くらいで、ホタルの乱舞、見ごたえがあると思います。

場所はこのネット上では公表しません。

ローカルプラットフォームにてお知らせ。

かたゑ庵に来られるとわかります。

かたゑ庵は海の魅力だけでなく、山にも囲まれています。

小川も流れ、その水もホタルが生息できるほどきれいな環境です。

この写真を見ていただければ、一目瞭然。

このかたゑ庵がある漁村が、緑豊かな森林で囲まれていくことがわかります。

海は浄化パワー、山は癒しパワー、と言われます。

片江はそのどちらもあるということになります。

ここ片江で、ゲストの方が海と山でゆったりと自然に浸り、また漁村民との語らいを楽しんでいただける、かたゑ庵を目指しています。

片江の海と山の動画はこちら

https://youtu.be/oudQesF8zL8

 

撮影:杉谷敦氏ドローンパイロット。無償ボラにて。

サザエを飼う事。そのリスク。

片江ではサザエは、6月末までは禁漁期間になります。

5~6月は、サザエの乱獲を防ぎ保護するためにそうしています。

7月解禁までもう少しです。

以前、片江に住んでいるときに、水槽に海水を入れ、電動ポンプで酸素を取り込んで、3~4cmくらいな小さいエビを近くの浅瀬ですくってきて飼っていたことがあります。

その水槽に食べきれず残した、活サザエを一匹その水槽に入れました。

いわば水槽の中の賑わいづくり・関係人口を増やす、といったところでしょうか。

海水は目の前の海から酌んできて、サザエのエサは、1.8mくらいな竹の先に鍬をつけ、それで湾内のわかめを採ってきて与えていました。

しばらく飼って、そのうち酒のつまみにと思ってたのです。

ある日のことです。

子どもたちがそのサザエに名前を付けたのです。

その名前は思い出せないのですが、サザエさんではなかったことは確かです。

毎日そのサザエの成長を見守る子どもたち。

なんか少し大きくなったようなきがする、とか。

朝、おはよーからおやすみー、とか水槽に向かって。

サザエは気になる存在へ。

 それからは、私は刺身・つぼ焼きをするときに、何かしら少し抵抗を感じるようになります。

ほんの少しなんですけどもね。

その名前の付いたサザエでないサザエをつぼ焼きしているときも

これはね、〇〇ちゃんではないよ。

水槽の中にいるでしょう。

ほら。

聞かれもしないのに子どもたちに言ってる自分。

そうなってくると、サザエはもう家族の一員、になってしまったのです。

そうなってしまったら、どうなるか。

そうなってしまったら、

もう、

サザエをひとりの生物として、成長を見守りながら、結局そのうち海にかえすことになりました。

とさ。